~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
『眞相はかうだ』による洗脳
GHQの「WGIP」は新聞とラジオ放送によっても行なわれました。
昭和二十年(1945)十二月八日(この日は真珠湾攻撃からちょうど四年目の日)より、全国の新聞に「太平洋戦争史」というタイトルでGHQによる宣伝工作記事が連載され、その翌日からNHKラジオで『眞相はかうだ』という番組の放送が始まりました。いずれも大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたもので、国民は初めて知らされる「真相」に驚きました。新聞連載もラジオ放送も、しの目的は日本国民に「太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」ということを徹底的に刷り込むためのものでした。
『眞相はかうだ』はGHQがすべて台本を書いており(そのことは国民には知らされてなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいものでした。GHQは翌年も『眞相箱』『質問箱』というタイトルで、約一年にわたり洗脳番組を放送し続けました(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。GHQが巧妙だったのは、番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことでした。そうすることで内容に真実味を持たせたのです。しかし戦前の政府や軍を批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
当時も、これらの番組内容は眞實ではないのではないかと疑義を抱く人はいました。ところが、彼らが声を上げても、そうした記事は「占領政策に対する破壊的批判」と見做され、全文削除されていたのです。
かくの如く言論を完全に統制され、ラジオ放送によって(当時はインターネットもテレビもない)洗脳プログラムを流され続ければ、国民が「戦前の日本」を徹底的に否定し嫌悪するようになるのも無理からぬことです。
ただ、何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。GHQの占領は七年間でしたが、それが終わって七十年近く経った現在でも、「歴史教科書」などの影響もあり、多くの日本人が「戦前の政府と軍部は最悪」な存在で、「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」と無条件に思い込んでいます。
もちろん戦前の政府や軍部に過ちはありました。しかし連合軍にも過ちはあり、また大東亜戦争は決していわゆる「侵略戦争」ではありませんでした。繰り返しますが、日本には中国を占領する意思はなく(人口と領土を考えても不可能であるし、またそうした作戦は取っていない)、またそれ以外のアジアの人々と戦争をしたわけではありません。
戦後、日本わずか数年占領下においたアジア諸国に賠償金を支払いましたが、その国々を数十年から三百年にわたって支配していたオランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切支払っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を除いてはほとんどありません。それはなぜか ── 日本だけが誠意をもって謝罪したからです。
日本人には、自らの非を認めるにやぶさかでない、むしろ非を進んで認めることを潔しとする特有の性格があります。他の国の人々と違って、謝罪を厭わないのです。
こうした民族性があるところへ、GHQの「WGIP」によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、当然のようにアジア諸国に深い謝罪の意を表したのです(もちろん連合軍が謝罪させた面もある)
コラム-21
検閲の中には、昭和天皇の巡幸に関するものもありました。
終戦の翌年の昭和二十一年(1946)から昭和天皇は全国を巡幸しました。
GHQは、天皇は各地で罵声を浴びせられるだろうと考え、それを許可します。
よころが、敗戦直後の悲惨な状況にもっかわらず、全国の国民は天皇を大いに歓迎しました。数多く残っている当時の写真や映像を見ると、いずれも黒山の人fだかりで、老若男女が満面の笑みを湛えています。昭和二十二年(1947)に広島市に巡幸した時の写真にも、何万もの群衆が昭和天皇を仰ぎ見る光景が写し出されています。GHQは予想外の反響に、一時は巡幸を中止したほどです(その後、再開を望む日本国民のために復活)
驚くべきは、この天皇巡幸の様を描いた文章の多くが検閲処分を受けていたことです。たとえば以下の文章です。
「“君が代”を歌い始めると、今度は岩を噛む怒涛にように万歳万歳を連呼した。いつまでも続く。それに答えられる陛下は左に右に体を向け変えられ高々と帽子を掲げ続けられる。万歳はいつまでも続いて私はそこに偽ることを知らぬ国民と天皇との直結された姿を見た」(『検証・戦後教育 日本人も知らなかった戦後50年の原点』より)
「突如、最前列の一女性がわーっと泣きだした。陛下の眼がきらりと光った。おえつが続く。われわれの天皇に寄せる親愛感の最高頂だ」(同)
「日の丸は死んだと思っていた。ところが、今度の行幸でみんなが眼を見張った。日の丸の旗一色に街も村も彩らてた。・・・・田舎にゆくほど手製が多かった。夜遅くまでコンパスを使い、あるいは御飯茶碗をふせて濃く淡く色をつけた日の丸がちぎれるように振られた。私たちはこの感激を日常の生活に活かさなねればならない。陛下に心からお誓いした日本再建の決意を実践に移そう。陛下のお言葉が、お姿が、日の丸の旗が、私たちの心の中に生きている」(同)
いずれも天皇と日本国民の絆の強さを表す文章ですが、GHQはこれらをことごとく検閲処分とし、天皇と国民の分断を図ったのです。
2026/02/05
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