~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム
もう一つ、GHQが行なった対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に「戦争責任」を徹底的に伝える「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」(WGⅠP:War Guilt Information Program)でした。わかりやすく言えば、「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」です。
これは日本人の精神を粉々にし、二度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものでした。「極東軍事裁判」(東京裁判)もその一つといえます。そして、これらの施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊しました。
「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」という言葉は、文芸評論家の江藤淳が昭和五十八年(1983)から月刊誌「諸君!」に連載した「閉ざされた言語空間」で使った呼称ですが、彼はGHQの内部文書から、占領軍がそうした意図を持っていたことを明らかにしました。同連載は平成元年(1989)に書籍化されましたが、言論史を塗り変える画期的な本となりました。その後、教育学者の 髙橋史郎 たかはししろう や翻訳家の 関野道夫 せきのみちお らが多くの一次資料を発掘し、江藤の説を裏付けています。
同書が明らかにしたことはまぎれもない事実で、実際、昭和二十年(1945)十月二日に発せられたGHQの一般命令書の中に、「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と明記されています。
GHQはその方針に従って、自分たちの意に沿わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰しました。江藤がアメリカ国立文書館分室で見つけた前述の文書には、禁止項目は全部で三十もありました。
禁止事項の第一は「GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部および最高司令官)に対する批判」です。二番目は「東京裁判に対する批判」、三番目は前に述べた「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」でした。アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられました。さらになぜか朝鮮人に対する批判も禁止事項に含まれていました。占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられ、またナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられました。新聞や雑誌にこうした記事が載れば、全面的に書き換えを命じられました。
GHQの検閲は個人の手紙や電話にまで及びました。進駐軍の残虐行為を手紙に書いたことで、逮捕された者もいます。スターリン時代のソ連ほどではありませんでしたが、戦後の日本に言論の自由はまたくありませんでした。
こうした厳しい検閲を、日本語が堪能でないGHQのメンバーだけで行なえたはずがありません。多くの日本人協力者がいたことは公然の秘密でした。一説には四千人日本人が関わったといわれています。
さらにGHQは戦前に出版されていた書物を七千点以上も焚書しました。
焚書とは、支配者や政府が自分たちの意に沿わぬ、あるいは都合の悪い書物を焼却することで、最悪の文化破壊の一つです。歴史上では秦の始皇帝とナチスが行なった焚書が知られていますが、GHQの焚書も悪質さにおいてそれに優るとも劣らないものでした。驚くべきは、これに抵抗する者には警察力の行使が認められており、違反者には十年以下の懲役もしくは罰金という重罰が科せられていたことです。
もちろん、この焚書にも多くの日本人協力者がいました。特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だといわれています。同大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあったとされていますが、この問題を占領の終了後もマスメディアがまったく取り上げようとしないのは実に不可解です。
検閲や焚書を含むこれらの言論弾圧は「ポッタム宣言」に違反する行為でした。
「ポッタム宣言」の第十項には「言論、宗教および思想の自由ばらびに基本的人権は確立されるべきである」と帰されています。つまりGHQは明白な「ポツダム宣言宣言」違反を犯しているにもっかわらず、当時の日本人は一言の抵抗すら出来なかったのです。
「大東亜戦争」という言葉も使用を禁止されました。GHQは「太平洋戦争」という名称を使うように命じ、出版物に「大東亜戦争」という言葉を使えば処罰されたのです。
これは史実認識の点で非常に問題のある措置でした。というのも、日本政府が閣議決定した「大東亜戦争」という呼称は、日中戦争から対米開戦、ポツダム宣言受託までの一連の戦争の総称ですが、「太平洋戦争」と言うと、中国大陸や東南アジアでの戦いが含まれないことになります。しかも「太平洋戦争」という呼称は、世界史でいえば、十九世紀終盤に南米で起きたボリピア、ペルー、チリの戦争を指すのが一般的です。
GHQが「大東亜戦争」という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った「大東亜共栄圏」を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためです。GHQはたとえ大義名分があったとしても「アジアの解放」のための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
GHQが「大東亜戦争」という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った「大東亜共栄圏」を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためです。GHQはたとえ大義名分であったとしても「アジアの解放」のための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
この検閲は七年間続きましたが、この時の恐怖が国民の心の中に深く残ったためか、七十年後の現在でも、マスメディアは決して「大東亜戦争」とは表記せず、国民の多くにも「大東亜戦争」と言うのを躊躇する空気があります。いかにGHQの検閲と処罰が恐ろしかったかが想像出来ます。
2026/02/04
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