日本から戦争に関わるすべてのものを消し去りたいと考えていたアメリカ政府は、大東亜戦争で亡くなった日本人兵士が祀られている靖国神社を焼却する意図を持っていました(跡地をドッグレース場にする計画があったという話は風聞で事実ではない)。しかし焼却案にはGHQ内にも反対意見があり、マッカーサーは、日本にいたカソリック神父らに意見を求めました。
ローマ・カソリック教皇使節代行のブリーノ・ビッテル神父はローマ・カソリック管区長のパトリック・バーン神父らと意見を交わした後、マッカーサーに次のように進言したと伝えられたます。
「いかなる国家でも、その国家のために死んだ人々に対して、経緯を払う権利と義務がある。それは、戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の心理でなければならない(中略)もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそいのような行為を理解しないにちがいない」(『マッカーサーの涙 ブルノー・ビッテル神父にきく』より)
またローマ教皇庁も「(靖国神社は)市民的儀礼の場所であり、宗教的崇拝の場ではないという公式見解を示しました。」
マッカーサーは靖国神社の焼却を取り止めますが、巷間伝わっている、二人の神父に説得されて考えを改めたという逸話は誤解とも言われています。靖国神社の存廃は高度に政治的な判断でした。ただ二人の神父がマッカーサーに対して、靖国神社を存続させるよう進言したことは事実です。
今日、靖国神社の存在を認めない日本人が一部にいますが、そういう人たちにはビッテル神父の言葉を噛みしめてもらいたいものです。また戦後四十年も経ってから、中国と韓国が、日本国首相の靖国神社参拝を非難・反対することを外交カードとし始めましたが、これは明らかな内政干渉です。にもかかわらず、日本国内に中国と韓国に同調するマスメディアや団体が少なくないのは情けないことです。
「国のために戦って亡くなった兵士を弔う」行為は、どこの国にもありますが、日本人は昔から敵国の兵士をも弔っているのです。古くは「蒙古来襲」の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を建て、亡くなった蒙古軍兵士のために千体の地蔵尊を作って奉納しています。豊臣秀吉とよとみひでよしの「朝鮮出兵」の折も、武将たちは各地で死んだ敵兵の屍しかばねを埋葬して弔いました。
近代に入って日露戦争後も、日本政府は戦死したロシア兵を弔うために旅順近くの山に礼拝堂を建てています。除幕式に出席したロシア士官や牧師らが「このような行為は史上例がない」と言ったとも伝えられています。
昭和二十三年(1948)、東京裁判で浮上した「南京事件」の責任を問われ、戦犯として処刑された中支那方面司令官の松井石根大将は、支那事変から帰国すると、昭和十五年(1940)、静岡県熱海市に興亜観音を造立して、日中両国の戦争犠牲者を弔っています。
ここには、「亡くなった者には、もはや敵味方の区別はない。死者はすべて成仏じょうぶつする」という仏教的精神と、「死者を鞭打たない」という日本人特有の心理があります。
対照的に、敵の死体にさえも凌辱を加える(時には墓から引きずる出してまで)という他国の人々に、靖国神社を非難などされたくはありません。 |