昭和二十年(1945)八月、アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本の占領を開始しました。連合国軍とはいっても実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダウラス・マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters。以下GHQと表記)が東京に置かれました。
占領政策は狡猾で表向きはGHQの司令・勧告によって日本政府が政治を行なう間接統治の形式をとりましたが、重要な事項に関する権限はほとんど与えませんでした。
GHQの最大の目的は、日本を二度とアメリカに歯向かえない国に改造することでした。そこで、明治以降、日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し、憲法を作り替えることに着手しました。
同年十月、GHQは日本政府に対し、大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示します。これは実質的には帝国憲法破棄の命令に近いものでした。幣原喜重郎内閣は改正の草案を作りましたが、発表前に毎日新聞社に内容をスクープされてしまいます。草案の中に「天皇の統治権」を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を示し、GHQの民政局に独自の憲法草案の作成を命じました。もちろんこの時、「戦争放棄条項」がマッカーサーの念頭にあったことはいうまでもありません。
ハリー・S・トルーマン政権の方針に基づいて民政局のメンバー二十五人が都内の図書館で、アメリカの独立宣言文やドイツのワイマール憲法、ソ連のスターリン憲法などを参考にして草案をまとめ上げました。中にはほとんど丸写しという文章もありました。メンバーの中に憲法学を修めた者は一人もいませんでした。しかし驚いたことに、そんな彼らが、一国の憲法の草案をわずか九日で作ったのです(日数に関しては諸説あり、最短六日という説もある)。
本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、宗教観を含む多くの価値観が色濃く反映されたのであって然るべきです。ところが日本国憲法には、第一条に「天皇」のことが書かれている以外、日本らしさを感じさせる条文はほぼありません。
しかここのようにして作られた憲法には、今日まで議論の的になっている条項、いわゆる「九条があります。それは次の二項から成っています。
「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
いわゆる「戦争放棄」として知られるこの条項は、マッカーサーの強い意向で盛り込まれたものでしたが、さすがに民政局のメンバーからも、「憲法にこんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないか」と反対する声が上がったと言われています。そのため、「前項の目的を達するため」という文言が追加され( GHQ芦田
修正)、自衛のために戦力を保持することが出来ると言う解釈を可能とする条文に修正されましたが、日本人の自衛の権利すら封じる旨を謳っていることには変わりがありませんでした。
GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押し付けました。内閣は大いに動揺しますが、草案を呑まなければ天皇の戦争責任追及におよぶであろうことは誰もが容易に推測出来ました。
現代においても、日本国憲法はGHQから押し付けられたものではないと主張する日本の野党政治家およびリベラルの学者や文化人は少なくありませんが、GHQが残した多くの資料がそれを否定しています。たとえば、 GHQ
江藤淳
えとうじゅん
はメリーランド州ストーランドにあるアメリカ国立公文書館分室から、GHQのG-2(参謀第二部)の指揮下にあったCCD(民間検閲支隊)が昭和二十一年(1946)十一月二十五日に出した検閲指針(A Brief Explanati of hte Categories of Deletions and Suppressions,datd25 November,1946,The National Records Center,資料番号 GR 331,Box No,8568.)を見つけています。それはGHQが新聞や映画などで削除または発行禁止処分の対象となる項目を略説したものですが、その中の(三)に、以下の文章があります。
「SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers:連合国軍最高司令官つまりマッカーサー)が憲法を起草したことに対する批判」
つまりGHQ自らが、日本国憲法を起草したのはマッカーサー(および部下たち)であるとはっきりと書いているのです。しかもそのことに対する批判は削除または発行禁止処分になるとまで言っています。
後にマッカーサーは「九条を提案したのは幣原喜重郎首相だ」と言い出し、幣原自身も「戦争放棄九条をマッカーサーに進言した」という意味のことを言っています。
つまり九条はマッカーサーと幣原の秘密会議で生まれたということですが、それは有り得ません。なぜなら、日本の非武装はトルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意思であり、「戦争放棄」についてはマッカーサーが民政局長に手渡したとされる指示ノートに残されています。 |