~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
真珠湾攻撃
昭和十六年(1941)十二月八日未明、聯合艦隊の空母から飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ艦隊を攻撃しました。日本軍は戦艦四隻を撃沈し、基地航空部隊をほぼい全滅させます。ただ、この時、在アメリカ日本大使館の不手際で宣戦布告が攻撃後になってしまいました。
同日、台湾から海軍の航空隊が出撃し、フィリピンのクラフト基地のアメリカ航空部隊を全滅させています。さらに同日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、イギリス軍を打ち破っています。日本がアメリカとイギリスに対して同時に開戦したのは、オランダ領インドネシアの石油を襲うためでした。そのためにはシンガポールのイギリス軍を撃破しなければならず、また手に入れた石油を日本に送るのに東シナ海を通るため、その航路を遮る位置にあるアメリカのクラーク基地を無力化する必要がありました。真珠湾のアメリカ艦隊を叩いたのも同じ理由からです。
同日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告を行ないました。同時に支那事変も正式に戦争となりました。ここに至りインドシナ半島や太平洋を含めた史上最大規模の大戦争の火蓋が切られたのです。
日本軍は緒戦だけは用意周到に作戦を練っていましたが、大局的な見通しはまったくありませんでした。そもそも工業力が十倍以上も違うアメリカとの長期戦では100パーセント勝ち目はありません。しかしハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになりかねません。そうなれば、七十年前の悪夢が再びやって来る恐れがありました。欧米の植民地にされてしまうという恐怖です。
当時の世界は、現代と比べものにならないほど、露骨な弱肉強食の原理で動いていました。アジア、アフリカ、南米に有色人種の独立国はほとんどなく、多くの有色人種たちがひたすら搾取され、奴隷のような扱いを受けていました。ヨーロッパの白人種の国でも弱小国はソ連やドイツに次々に解体されていきました。
何しろ国際連盟で「人種差別撤廃」の規約が否決された時代です。国力を失った有色人種の極東の島国の運命は暗澹たるものになると、日本の政府や軍人たちが危惧したのも無理はありません。
後の話になりますが、戦後、アメリカ軍の南西太平洋司令長官であり、日本占領軍の最高司令官であるダグラス・マッカーサーは、昭和二十六年(1954)、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において、「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られたものだった」と述べています。つまり敵将さえもが先の大戦は日本の侵略ではなく自衛のための戦争であったと名言したのdす。
日本の真珠湾攻撃はルーズベルト大統領にとっては願ったり叶ったりでした。彼は「日本軍は宣戦布告なしの卑怯な攻撃を行なった」と、アメリカ国民に強く訴えます。
ここで戦争反対だったアメリカの世論が一夜にして「リメンバー・パール・ハーバー」の合言葉とともに変じて、一気に戦争へと向かっていったのです。
ところで、現代のアメリカ人の中にも、広島・長崎への原爆投下と、東京空襲は日本の汚い攻撃に対する報復だという人は少なくありませんし、日本人の中にも真珠湾攻撃は騙し討ちだったという人がいます。
しかし有史以来、宣戦布告してから戦争を行なったケースは実はほとんどないのです。第一次世界大戦と第二次世界大戦がむしろむしろ例外だったといっていいでしょう。当のアメリカも幾度も戦争をしていますが、そのほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃を行なっています。つまり真珠湾攻撃を卑怯なやり方と言い募ったのは、完全なプロパガンダなのです。 ちなみに戦争終結間際にソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄して、日本に対して戦闘を開始しましたが、モスクワの駐ソ大使に宣戦布告を手渡したのは攻撃の一時間前でした。しかも駐ソ大使から日本本国への電報はソ連の電信局が送信しなかったため、実質的には奇襲攻撃となっています。
ただ残念なのは、そうした事態になることを恐れた聯合艦隊司令長官の山本五十六が、くれぐれも真珠湾攻撃の前に宣戦布告文書をアメリカに手渡すようにと言っていたにもかかわらず、ワシントンの日本大使館員らがそのことを重く受け止めていなかったことです。
日本の攻撃を喜んだ人物がもう一人いました。イギリス首相のウィンストン・チャーチルです。日米開戦の報告を受けたチャーチルは大喜びし、すぐにルーズベルトに電話しました。ルーズベルトの「いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」という言葉を聞いたチャーチルは、これで戦争に勝てると確信しました。
彼はこの時の興奮と喜びを後に回顧録『第二次世界大戦」で次のように書いています。
「感激と興奮とに満たされ、満足して私は床につき、救われた気持ちで感謝しながら眠りについた」
さらにこうも書いています。
「ヒトラーの運命は決まった。ムッソリーニの運命も決まったのだ。日本人についていうなら、彼らはこなぎなに打ちくだかれるだろう」
ドイツとイタリアに関しては個人の滅亡のみ言及していますが、日本に対しては民族全体の運命に言及しています。たまたまの表現なのかも知れませんが、私はチャーチルの白人種以外への差別意識が表れたと見ています。ちなみに彼は昭和二十八年(1953)にこの回顧録でノーベル文学賞を受賞しています。
2026/01/18
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