~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
統帥権干犯問題
世界が経済的緊張に包まれる中、昭和五年(1930)、ロンドンで補助艦の保有量を制限する海軍軍縮会議が開かれ、日本の保有トン数はアメリカの約七割に抑えられました(戦艦の種類によって異なる)。これを受け入れた政府を、一部の軍人や野党政治家は激しく非難しました。
この時「 統帥権干犯 とうすいけんかんぱん 問題」という大問題が起きます。
「統帥権」とは、軍隊を指揮する最高権限のことをいいます。明治憲法(大日本帝国憲法)の第十一条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあり、その意味するところは、「政治家は軍隊を専門職である陸海軍に任せる代わりに、軍も政治に介入しないということです。ただしそれは、政治家が軍事に関与してはいけない、という意味ではありません。
ここで政治と軍事の関係について、少し説明したいと思います。やや難解な語句や表現を使うことになりますが、ここは非常に重要なところなのでお許しいただきたく思います。
戦略思想家のカール・フォン・クラウゼヴィッツの「戦争は政府と軍隊と国民の三位一体で行なわれなければならない」という有名な言葉に象徴さされるように、戦争に勝利するためには、国民の理解が必要であり「、政府は戦争目的を訴え、国民の支持を集め、軍事予算を準備しなければなりません。その予算のもとで軍は戦いますが、この時、軍事に関して素人である政治家は作戦には口出ししません。ただし、戦争目的が達成されたと政府が判断すれば、政府の判断のもとで戦闘を終結させ。平和交渉に当り、この判断に従います。これが近代における政治と軍事の原則であり、大日本帝国憲法下の日本においても、日清戦争、日露戦争までは厳密に守られてきました。
ところが、ロンドン海軍軍縮条約に反対する野党政治家(犬養毅いぬがいつよし鳩山一郎はとやまいちろなど)が、それまでの大日本帝国憲法の解釈と運用を無視して、「陸海軍の兵力を決めるのは天皇であり、それを差し置いて兵力を決めたのは、天皇の統帥権と編制大権を侵すものであり、憲法違反である」と言い出し、政府を批判したのです。厳密にいえば、第十二条の「編制大権」(天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム)を侵したという言い分でした。ただ編制大権は、統帥権とは性格が異なり、あくまでも内閣の輔弼ほひつ事項であり、「統帥権の独立」は言葉としてはあっても、「編制大権の独立」という言葉はありません。そこで、浜口はまぐち 内閣は、「内閣として編制大権を輔弼した」という解釈で、海軍軍縮条約に調印したのですが、この条約に海軍の一部が反発し、さらに野党がそれに乗っかる形で「統帥権の干犯」という無理矢理な理屈で問題にしたのです。これは大問題に発展し、やがて民衆の中にも政府を声高に非難する者が出て来ました。
国会での激しい論争の最中、首相の浜口雄幸おさちが右翼テロリストに銃撃され重傷を負い、首相を辞職します(銃撃の九ヶ月後に死亡)。犯人は「浜口は社会を不安に陥れ、陛下の統帥権を侵したからやった」という旨の供述をしましたが、「統帥権の干犯とは何か」という質問には答えられなかったといいます。明治以降に起こった多くのテロ事件と同様、典型的な直情的テロリストによる犯行でした。
ただ、この一連の事件以降、内閣が軍部に干渉出来ない空気が生まれ、軍部の一部が統帥聯を利用して、暴走していくことになります。野党の無理矢理な政府攻撃が日本を変えていくことになったのです。
ちなみに軍人勅諭では、軍人が政治に口を出すことは禁じられていましたが(軍人には選挙権も与えられていなかった)、「統帥権干犯問題」以降、軍事知識の足りない政党政治家の台頭に危機感を持つ青年将校の間に、政策を論じるグループが生まれていきました。これは実に危険な兆候でした。
2026/01/02
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