明治四十四年(1911)、「義和団の乱」(北清事変)以降、すっかり国力が落ちていた清帝国の各地で、「清朝打倒」を掲げる漢人による武装蜂起が相次ぎました。清は女真族が三百年近くにわたって支配していた国ですが、女真族は全人口の一割にも満たず、大多数の国民である漢族の間で鬱屈していた不平や不満が爆発する形となりました。
翌明治四十五年(1911)一月一日、南京に臨時政府「中華民国」が誕生し、孫文が臨時大統領となりました。翌月、清朝最後の皇帝、
宣統帝
(
溥儀
ふぎ
)は退位させられ、ここに清帝国は二百九十六年の歴史の幕を閉じます。中華民国はほどなく軍閥(多くの私兵を抱えた地方遺豪族)の袁世凱が実権を握り、孫文を追い出して大統領となります。
同年、明治天皇が崩御し、大正天皇の即位と同時に、元号が「大正」と改められました。
二十世紀の世界は、日本とロシアという二つの大国の戦争で幕を開けましたが、間もなくさらに恐ろしい戦争が起こります。
次なる舞台はヨーロッパでした。当時、列強諸国はそれぞれ海外進出の思惑を持って動いていました。日本に敗れたことによってアジアでの南下政策諦めざるを得なかったロシアは、再度ヨーロッパへの進出の機会をうかがい、植民地獲得競争に出遅れていたドイツはオーストリア=ハンガリー帝国、イタリアと同盟を結んで、海外進出を狙うべく海軍を増強していました。
ドイツの動きを脅威と見たイギリスはフランスとロシアに接近し、三国協商を結びます。ここで、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアの三国同盟と、イギリス、フランス、ロシアの三国協商という対立構造が明確になります。この状況は「武装した平和」ともいわれ、小さな火種が大戦争に発展しかねない緊張した情勢でしいた。二つの陣営は、他のヨーロッパ諸国を同盟関係に巻き込みながら、新たな侵略の矛先をバルカン半島へと向けていったのです。
この地域は長い間、オスマン帝国の支配下にありました。十三世紀に興ったオスマン帝国は十六世紀以降、中東、北アフリカから東ヨーロッパに至る広大な領域を支配してきましたが、十九世紀を迎える頃から弱体化し始めていました。これに呼応するかのように、バルカン半島では小国のナショナリズムが高揚してきます。こうして半島の諸国・諸民族(現在のギリシャ、アルバニア、ブルガリア、北マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルチェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ、ルーマニア、スロベニア、トルコの一部などを含む地域)などの小国で沸き起こった民族的対立を、列強が領土獲得のために利用しようとしていました。そのため列強同士の戦争がいつ起きるかわからない一触即発の状態へと緊張が高まってきました。この時のバルカン半島情勢は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれました。
大正二年(1914)六月二十八日、ボスニアのサラエボを訪問中のオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者夫妻がボスニア系セルビア人のテロリストによって暗殺されました。オーストリア=ハンガリー帝国は翌七月二十八日、セルビアに対して宣戦布告をします。翌々日、ロシアがセルビアを支援するために総動員令を出すと、八月一日、オーストリア=ハンガリー帝国の同盟国ドイツがロシアに宣戦布告、次いでロシアの同盟国フランスにも宣戦布告しました。それを受け、フランスとロシアの同盟国であるイギリスがドイツに宣戦布告します。これらの出来事がたった一週間で起こったのです。
その後も続々と参戦する国が現れ、わずか数週間のうちに、奥州二十八ヶ国が「連合国」側と「同盟国」側に分れて戦うことになり、人類が見たこともない大戦争へと拡大しました。ヨーロッパ主要国で中立を保ったのは、永世中立国スイスを別にすると、スウェーデン、オランダ、スペイン、デンマーク、ノールウェーなど、一部にすぎませんでした。
ヨーロッパから遠く離れた日本でも、イギリスと同盟を結んでいる関係で、八月二十三日にドイツに宣戦布告し、ドイツの租借地であった山東半島などを攻めました。この時、日本国内では国益に直接寄与しない戦争への参加に異論もあったため、ドイツに最後通牒を送り、回答を一週間待った上で参戦します。
「世界大戦」と呼ばれたこの戦争は、ヨーロッパを舞台に四年以上も続きました。戦車・飛行機・潜水艦・毒ガスなどの新兵器が多数使われ、最終的に、両陣営合せて戦死者約一千万人(ドイツ約七十七万人、ロシア約七十万人、フランス約百三十六万人、オーストリア=ハンガリー帝国約百二十万人、イギリス約九十一万人、イタリア約六十五万人など)、戦傷者約二千万人、行方不明者約八百万人という、人類史上最多の犠牲者を出す悲惨きわまりない結果となりました。なお、この戦争が第一次大戦と呼ばれるようになったのは、後に起こった第二次世界大戦後のことですが、以下、便宜上「第一次世界大戦」と書きます。
大正七年(1918)十一月、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、トルコ、ブルガリの同盟国側の敗戦で第一次世界大戦は終結します。戦後、日本はドイツが持っていたマリアナ諸島やマーシャル諸島などの南洋諸島を国際連盟の委任を受けて統治することになりました。
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