~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
義和団の乱
欧米列強が次々に清を蚕食さんしょくする中、それらを排斥しようとする秘密結社「義和団」が誕生しました。これは清に伝わる武道と新興宗教の白蓮びゃくれん教の一派とが合体したもので、国内の失業者や難民を吸収して、またたく間に大きな組織となりました。
清政府はこれを排外政策に利用しようとし、秘かに支援します。義和団は「扶清滅洋ふしんめつよう (清を助け西洋を滅ぼす)をスローガンに掲げて、明治三十三年(1900)には北京に入り、各国の公使館を包囲しました。清政府はこれを大きなチャンスと捉えて、欧米列強に宣戦布告します。
日本と列強七ヵ国(イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、アメリカ、イタリア、オーストリア)は在留自国民の保護を名目に、清に軍隊を送り込みました。義和団が信じていた「神」は孫悟空そんごくう(『西遊記』に登場する猿。架空のキャラクター)諸葛孔明しょかつこうめい(『三国志演義さんこくしえんぎ』に登場するしょくの軍師。こちらは実在)という奇妙なもので、団員たちは修行を積めば刀や銃弾さえもはねかえす不死身の身体になれると信じ、近代兵器で武装した列強の軍隊に徒手空拳で挑みましたが、銃や大砲に勝てるはずもなく、各国の軍隊によってたちまちのうちに鎮圧されました。
これは「義和団の乱」(北清事変)と呼ばれ、列強は清に対し、四億五千万テールの賠償金を科し、軍の北京駐留を認めさせました。この時から、清は列強の半植民地となったのです。
コラム-08
「義和団の乱」において、忘れてはならない日本人がいます。それは柴五郎しばごろうです。
万延まんえん元年(1860)に会津藩士の子として生まれた柴は、戊辰戦争の折に祖母・母・兄嫁・姉妹が自決するという悲惨な境遇の中に育ちますが、後に陸軍士官学校を出て、三十九歳の時、義和団の乱が起きる前に、北京の公使館へ駐在武官として派遣されました(当時は中佐)
凶暴な暴徒が各国公使館を取り囲む中(日本の公使館員やドイツの公使が殺されている)、英語、フランス語、中国語に精通いていた柴は他国軍と協力して、義和団から公使館を守り通します。この時、柴は事前に北京城およびその周辺の地理を調べ尽くしており、さらに中国人の間者(スパイ)を使って情報網を築き、籠城軍の実質的な司令官として活躍したのです。
「義和団の乱」の後、イギリス公使クロード・マクドナルドは「北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と言い、英紙特派員は柴を「籠城中のどの(国の)士官よりも有能で経験豊かだったばかりか、誰からも好かれて尊敬され」と評しました。柴はイギリスの武功勲章はじめ各国政府から勲章を授与され、柴五郎の名は欧米で広く知られることになりました。
柴とそいの配下の日本兵の勇敢さと礼儀正しさに深く心を動かされたマグドナルドは、ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル・ソールズベリー首相に日英同盟の構想を熱く語ったといわれます。後の日英同盟の交渉の際にはマグドナルドがすべて立ち合い、同盟締結の強力な推進者となりました。この日英同盟が、後に起こった「日露戦争:において、日本の大きな援護となります。
2025/12/11
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