~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
三国干渉
明治二十八年(1895)四月、下関条約が結ばれた六日後、ロシアとフランスとドイツが、日本に対して「遼東半島の返還」を要求しました。これは「三国干渉」と呼ばれています。「極東の平和を乱すから」というのが干渉の理由でしたが、それは建前にすぎず、実際は満洲の利権を狙っていたロシアが、フランスとドイツに働きかけて行なったものでした。フランスとドイツには、この干渉に参加することによって清に恩を売り、その見返りを得ようという目論見がありました。互いにロシアと接近するのを阻むために、敢えて手を結んだという事情もありました。日本は、この三国に対抗する国力がなかったため、泣く泣くこの干渉を受け入、遼東半島を清に返還します。日本政府は、悲憤慷慨する国民に対して、「臥薪嘗胆がしんしょうたん」をスローガンに国力を上げる必要を訴えました。
しかし清から得た二億テールという莫大�賠償金(当時の日本の国家予算の四倍)と遼東半島の還付金三千万テールは日本の財政にとって大きな助けとなります。そのため多くの国民が「戦争に勝てば金になる」という誤った意識を持ってしまいました。この意識が後に日本を危険な方向へ導くもととなったといえます。
蚕食される清帝国
日清戦争の結果は、「清帝国は弱」という事実を列強にあらためて教えることとなりました。
それまでイギリスやフランスはアヘン戦争やアロー戦争などで清に対して勝利を収めてはいましたが、内心では大国・清を恐れてもいました。局地戦では勝ったものの、もし膨大な人口を誇る清帝国が国を挙げて立ち上がれば、その力は相当なものだろうと思われていたからです。清は「眠れる獅子」と呼ばれ、列強は本気で清に戦争を仕掛けませんでした。
しかし日本との戦いで、清の軍隊の脆弱さ、人民の闘争力のなさ、二重統治(少数民族の 女真族 じょしんぞく が圧倒的多数の漢民族を支配)の矛盾などが一挙に露呈し、実は「弱い国」であることを列強は知ります。清は「眠れる獅子」ではなく「死せる豚」と揶揄されるようになりました。
遼東半島の返還を日本に要求したロシア・フランス・ドイツの三国は、清に対し見返りを求め、ロシアは明治二十九年(1896) 東清 とうしんく 鉄道敷設権を獲得、さらに明治三十一年(1898)には日本が返還した遼東半島の南端の旅順と大連の租借権を得ます(その後、半島全域を占領し、旅順に要塞を築く)
フランスは明治二十八年(1895)に安南鉄道の延長や雲南・広東などでの鉱山採掘権を獲得、明治三十二年(1899)には 広州湾 こうしゅうわん の租借権を延長させました。
ドイツもその前年、 膠州湾 こうしゅうわん (杭州湾とは別)の租借権を獲得していました。日本に干渉してきた国々の「極東の平和を乱す」という理由、まったくの口実にすぎないことを自ら証明したような行ないです。
またイギリスも九龍半島と山東半島東端の 威海衛 いかいえい の保全(他国への不割譲)を約束させました。まさに日清戦争をきっかけにして、列強の本格的な中国分割が始まったのです。
清から領土や権利を獲得していく列強の姿は、あたかも瀕死の巨大な豚の肉に噛み付くハイエナのようです。もっとも日本もこの時、台湾の対岸にあたる福建省の保全を約束させているので同類だったともいえます。
スペインとの戦争やハワイ併合のため中国進出が遅れたアメリカも、清に対して「門戸開放」や「機会均等」を提唱しました。これは要するに、アメリカにも分け前をよこせということでした。このように十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、列強と日本は、中国をむさぼり続けます。
私見ですが、これほどまで国を蹂躙された恨みが残らないはずはないと思います。
二十一世紀の現在、巨大な「怪物」となった中華人民共和国が、覇権主義的な野望を隠そうともせず、世界の国々に脅威を与えているのは、もしかしたら百年以上前に味わった恥辱を晴らしたいという潜在的な復讐心からではないかという気さえします。
そう思うと同時に、やはり歴史というものは長い目で見る必要があるという気にもさせられます。
2025/12/11
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