明治二十七年(1894)に日清戦争が起こりますが、これは突如勃発した戦争ではありませんでした。
維新以来、日本は必至に近代化に邁進していましたが、その間も対外的な危機が去ったわけではありませんでした。十九世紀の国際社会はいまだ激烈な弱肉強食の世界だったのです。アフリカ、南アメリカ、中東、インド、東南アジアと、地球上のほとんどを植民地とした欧米列強は、最後のフロンティアとして中国大陸に狙いを定めていました。
もちろん日本についても安全が保障されているわけではありませんでした。西ヨーロッパの国々に出遅れていたロシアが南下政策をとり、満洲から朝鮮半島、そして日本を虎視眈々と狙っていたからです。そのため日本は自国の防波堤として朝鮮の近代化を望みました。朝鮮半島が日本のように富国強兵に成功すれば、ロシアの南下をともに防ぐことが出来る ── 日本が李氏抗戦を開国させた一番の理由はそれでした。しかし現実の李氏朝鮮は清の従属国(冊封さくほう国)であり、独立国家の体をなしておらず、近代国家にはほど遠い存在でした。それでも開国以来、日本の支援を受けて改革を進めてはいましたが、明治十五年(1882)、改革に反対する保守派が大規模な暴動を起こし、日本公使館を襲って、日本人軍事顧問や公使館員を殺害しました(これは「壬午じんご軍乱」と呼ばれている)。
日本は兵を派遣しましたが、清もまた宗主国として派兵します。反乱軍を鎮圧した清は、袁世凱えんせいがい
を派遣し、事実上の朝鮮国王代理として実権を掌握させました。これにより朝鮮国内では親日勢力(改革派)が後退し、再び清への従属度合を強めていきます。
そんな中、明治十七年(1884)に、ベトナムの領有をめぐって清とフランスの間で戦争が起こったため、朝鮮半島に駐留していた清軍の多くが内地へ戻りました。
朝鮮の改革派は、清がフランスに敗れたことを好機と見て、日本公使館の支援を受けてクデターを起こしますが、清軍に鎮圧されました(甲甲こうしん事変)。
この事変で、日本と清の間で軍事的緊張が高まったものの、明治十八年(1885)、両国が朝鮮から兵を引き揚げることを約束する天津条約を交しました。この条約で重要なのは、「将来朝鮮に出兵する場合は相互通知を必要と定める。派兵後は速やかに撤退、駐留しない」という条項でした。
九年後の明治二十七年(1894)二月、朝鮮政府に対して大規模な農民反乱(東学党の乱)が起きると、朝鮮政府から要請を受けた清が軍隊を送りました。そこで日本も天津条約により朝鮮に派兵します。両国の軍が来たことで東学党は朝鮮政府と和解し、乱は収束しました。
乱が鎮まった後、朝鮮政府は日本と清に撤兵を求めますが、どちらも受け入れず、一触即発の緊迫した状況の中、七月二十五日、ついに両国の軍隊が衝突し(豊島沖ほうとうおき海戦、二十九日には成歓せいかんの戦い)、八月一日には、両国が宣戦布告しました。
この時、日本軍、清国軍ともに近代的な武器を装備していましたが、軍の統率力や兵士の練度において優った日本軍が各地の戦闘で清軍を圧倒しました。日本軍は清国軍を朝鮮国内から駆逐し、清国内に攻め入って遼東半島りょうとうはんとうを占領します。さらに清国の北洋艦隊を黄海海戦で破り、「日清戦争」に勝利しました。
これは日本にとって明治に入って初めての本格的な対外戦争でした。
翌明治二十八年(1895)、下関で日清講和条約が結ばれました。「下関条約」と呼ばれるこの条約の第一条は、「清は、朝鮮半島の完全な独立を認めること」というものです。つまり日本が清と戦った最大の目的は、日本の安全保障の観点から、朝鮮を独立させることだったのです。朝鮮半島が大国の手に落ちたなら、日本の安全保障が脅かされることになるだけに、朝鮮を近代化させたかったのです。いかし朝鮮が清の属国である限り近代化は困難でした。
また同条約で、清は日本に対し賠償金二億テールを支払い「、遼東半島と台湾を割譲することが決まりました。十九世紀以前の国際社会では、戦争によって賠償金支払いと領土の割譲は常識でした。したがってこれは結果論であり、日本が清と戦った最大の理由は、自国の安全保障という目的のためでした。
下関条約により、李氏朝鮮は初めて清から離れて独立しました。李氏朝鮮は二年後に国号を大韓帝国と改め、君主はそれまでの「王」から「皇帝」を名乗りましたが、これは挑戦史上初めての画期的な出来事でした(東南アジアでは「王」というのは、中華帝国の冊封を受けているという意味がある)。
この時、漢城(現・ソウル)にあった「迎恩門」(宗主国であった清の使者を迎える門)が取り壊され、清からの独立を記念して「独立門」が建てられました。今日、多くの韓国人が、この門は大東亜戦争が終って日本から独立した記念に建てられたものと誤解しています。このような基本的な知識すら正しく教育されたいなことには呆れるばかりです。
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