アジアで唯一、近代国家の仲間入りを果たした日本でしたが、江戸幕府が安政時代に結んだ不平等条約の頸木から抜け出ることは容易ではありませんでした。これが国際条約の重みです。
政府は何度も改正を試みて各国と交渉を重ね、明治二十七年(1894)、ようやく「領事裁判権の撤廃」に成功しました。最初に結んだ日米修好通商条約から三十六年かかったことになります。しかし、「関税自主権がない」という条項の完全撤廃は認められませんでした。これが撤廃されない限りは、欧米列強との貿易において常に不利な立場となり、経済的な発展はありません。この改正が認められないということは、列強と同等の国とは認められていないことの証あかしでもありました。
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