明治四年(1871)に始まった廃藩置県は、その後、県の数を徐々に整理していき、明治九年(1876)には三十五となりましたが、それぞれの面積が大きすぎるという弊害もあり、明治二十一年(1888)、三府四十三県(北海道を除く)となって、現在の形となりました(その前、明治二年【1869】に蝦夷地が改称されて北海道となり、明治十五年【1882】に函館県、札幌県、根室県が設置された。東京は昭和十八年【1943】に都になっている)。ついまり明治二十一年(1888)の最後の廃藩置県の実施以後、百三十年以上日本の行政単位はほぼ変わっていないのです。
この百三十年の間に、交通網や通信手段、および人々の生活スタイルは激変しました。百三十年前は、ほとんどの人の生活範囲は半径数キロ以内でしたが、現在は県をまたいで行動することは当たり前の日常となっています。道路、水道、電気、あるいはその他の行政も、もはや一県だけで行なっていくのは合理的か否か疑問が生じているにもかかわらず、百三十年そのままとうのも、変化を好まない日本的なやり方のようにも見えます。
江戸時代の二百六十五年間がそうであったように、日本の政府、日本人は基本的に変化や改革を嫌います。そういう点では、やはり明治の初めの十数年こそが特殊な時代だったといえます。江戸幕府の崩壊、襲い来る欧米列強と、激動の中で、大胆な改革をしなければ日本は生き残れないという強い危機感に突き動かされたため可能となったのでしょう。
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