戊辰戦争を戦っている明治元年(1868)三月に、明治政府は「五箇条の御誓文」を発表しました。これは明治天皇が天地神明に誓約する形で、公家や大名たちに示した明治政府の基本方針ですが、まず注目すべきは最初の二条です。
「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」
「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ」
これはわかりやすくいえば、「広く人材を集めて会議を開いて議論を行ない、人々の意見を聞いて物事を決めよう」「身分の上の者も下の者も心を一つにして国を治めていこう」ということです。ここには独裁的な姿勢は皆無です。まさに近代的民主主義の精神に満ち溢れています。
それだけでも十分な驚きですが、私は、最初の二条と、千二百年以上前に聖徳太子しょうとくたいしが作ったといわれる「十七条憲法」との類似性に唸らされます。すなわち「和を以て貴しと為し」「上やわらぎ下むつびて」というくだりです。日本は古来、専制君主制ではなく、政治は皆で行なっていくのが理想と考えてきた国なのです。
ただ、明治政府の重鎮たちの多くが近代的民主主義の精神を持っていたかは疑問です。これはある意味、仕方のないことです。彼らの多くは数年前までは藩主に仕える武士であり、幕府から扶持を貰って生活していた公家だったのですから。何より重要なことは、明治政府が「五箇条の御誓文」を理想とし、これを国是としたということです。
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