~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/12/16 いち ぎやう じや (一)
十禅師権現じふぜんじごんげん御前にて大衆又僉議す。「そもそも我等粟津あはづに行きむかッて、貫首くわんじゆをうばひとどめ奉るべし。ただ追立おつたて鬱使うつし両送使りやうそうしあんなれば、事故ことゆえなく取りえ奉らん事ありがたし。山王大師さんわうだいしの御ちからほかはたのむ方なし。まことにべち子細しさいなく取りえ奉るべくは、ここにてまず瑞相ずいさうをみせしめ給へ」と、老僧肝胆かんたんをくだいて、祈念しけり。ここに無動寺むどうじ法師ぼふし乗円律師じやうゑんりつしわらは鶴丸つるまるとて生年しやうねん十八歳になるが、心身しんじんを苦しめ、五体に汗をながいて、にはかにくるひ出でたり。「われ十禅師権現じふぜんじごんげん、乗りゐさせ給へり。末代といふとも、いかでか我山わがやまの貫首をば、他国へはうつさるべき。生々しやうじやう世々せせに心うし。さらむにとッては、われこのふもとに跡をとどめてもなにかはせん」とて、左右さうそでを顔におしあてて、涙をはらはらとながす。大衆これをあやしみて、「誠に十禅師権現の御宣託ごせんたくにてましまさば、我等しるしを参らせん。すこしもたがへず、もとのぬしに返したべ」とて、老僧四五百人、手々てんでにもッたる数珠じゆず共を、十禅師の大床のうへへぞ投げあげたる。此物ぐるひ、はしりまはッて拾ひあつめ、すこしもたがへず、一々いちいちにもとのぬしにぞくばりける。大衆、神明しんめい霊験れいげんのあらたなる事のたッとさに、みなたなごころをあはせて、随喜ずいきの感涙をぞもよほしける。「其儀ならば、ゆきむかッて、うばいとどめ奉れ」といふほどこそありけれ、雲霞うんかの如くに発向はつかうす。あるい志賀しが辛崎からさきの浜路に、あゆみつづける大衆もあり、あるいは山田ばせの湖上こしやうに、舟おしいだす衆徒もあり。是をみて、さしもきびしげなりつる追立の鬱使、両送使、四方へ皆逃げさりぬ。
(口語訳)
十禅師権現じゅうぜんじごんげんの御前で衆徒はまた会議を開く。「そもそも我々が粟津あわづに向かって、座主を奪い取り、お止めしよう。ただし追い立てる役人、護送の役人がいるそうだから、無事に奪い取り申すことは容易ではない。山王大師のお力以外には頼るところがない。まことの特に問題がなく、僧正をお引き取り申すことが出来るなら、ここでまずめでたいしるしをお見せください」と、老僧どもは真心をこめて祈念した。すると無動寺むどうじの法師乗円じょうえん律師の召し使う童で鶴丸という年齢十八になるのが、心身を苦しみもだえさせて、全身に汗を流して急に狂いだした。「我に十禅師権現が乗り移られた。末代といっても、どうしてわが比叡山ひえいざんの座主を、他国へお移ししてよかろう。それはいついつまでも悲しい事だ。そうなるのなら自分がこのふもとに鎮座していてもしかたがない」と言って、左右のそでを顔におしあてて、涙をはらはらと流す。衆徒はこれを怪しんで、「まことに十禅師権現のご託宣でございますなら、我々がめいめいのしるしを差し出しましょう。それを少しもまちがえず、もとの持主に返して下さい」といって、老僧ども四、五百人がてんでに持っている数珠じゅずどもを、十禅師の社殿の大床の上へ投げ上げた。この気ちがいが走りまわって拾い集め、少しもまちがえず、いちいちもとの持主に配った。衆徒は、神の霊験のあらたかなことを尊く思って、みな手を合わせて、感激のありがた涙を流した。「そういう事なら、出向いて、前座主を奪いお止めせよ」と言うやいなや雲霞うんかのごとく大勢が出発する。あるいは志賀・辛崎からさきの浜辺の道を歩きつづけた衆徒もあり、あるいは山田・矢橋やはせの湖上に船をぎ出す衆徒もある。これを見て、あんな厳重そうだった追立おつたての役人、送り届ける使者も、四方へみな逃げ去った。
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