~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/12/19 いち ぎやう じや (二)
大衆国分寺こくぶんじへ参りむかふ。前座主ぜんざす大きにおどろいて、「勅勘ちょくかんの者は、月日つきひの光だにもあたらずとこそ申せ。いかいわや、いそぎ都のうちを追ひいだださるべしと、院宣ゐんぜん々旨せんじのなりたるに、しばしもやすらふべからず。衆徒しゆととうとうかへりのぼり給へ」とて、はしぢかう出でて、宣ひけるは、「三台さんだい槐門くわいもんのお家をいでて、四明しめい幽溪いうけいの窓に入りしよりこもかた、ひろく円宗ゑんじゆう教法けうぼふがくして、顕密けんみつ両宗をまなびき。ただ吾山わがやま +ぎぢやうの興隆をのみ思へり。又国家を祈り奉る事おろそかならず、衆徒をはぐくむ心ざしもふかかりき。 両所りやうじよ山王さんわう 、定めて照覧し給ふらん。身にあやまつ事なし。無実の罪のよッて、遠流をんる重科じゆうくわをかうぶれば、世をも人をも、神をも仏をも恨み奉りことなし。これまでとぶらひきたり給ふ衆徒の芳志はうしこそ、報じつくしがたけれ」とて、香染かうぞめ御衣おんころもの袖、しぼりあへ給はねば、大衆もみな涙をぞながしける。御輿おんこしさし寄せて、「とうとうめされるべう候」と申しければ、「昔こそ三千の衆徒の貫主くわんしゆたりしか、いまはかかる流人るにんの身になッて、いかんがやんごとまき修学者しゆがくしや知恵ちえふかき大衆達には、かきささげられてのぼるべき。たとひのぼるべきとも、わらんづなんどと物しばりはき、同じやうにあゆみつづいてこそのぼらめ」とて、乗り給はず。ここに西塔さいたふ住侶じゆうりよ戒浄坊かいじやうぼう阿闍梨あじやり祐慶いうけいといふ悪僧あり。たけ七尺ばかりありけるが、黒革威くろかわおどしよろひ大荒目おほあらめにかねまぜたるを、草摺くさなぎながに着なして、かぶとをばぬぎ、法師原ほふしばらにもたせつつ、しら大長刀おほなぎなたつえにつき、「あけられ候へ」とて、大衆の中をおし分けおし分け、先座主のおはしける所へつッと参りたり。だいまなこを見いからし、しばしにらまへ奉り、「おの御心おんこころでこそ、かかる御目にもあはせ給へ。とうとう召さるべう候」と申しければ、おそろそさにいそぎ乗り給ふ。大衆取りえ奉るうれしさに、いやしき法師原にあらで、やんごとなき修学者しゆがくしやども、かきささげ奉り、をめきさけんでのぼりけるに、人はかはれども、祐慶はかはらず、前輿さきごしかいて、長刀なぎなたも、輿こしながえもくだけよととるままに、さしもさがしきひんがしざか平地へいぢを行くが如くなり。
(口語訳)
衆徒は国分寺こくぶんじへ向かって参った。前座主はたいそう驚いて、「勅勘ちょっかんの者は月日の光にさえも当たらぬと申している。まして、至急都内を追い出されるようにと、院宣いんぜんの御ことばがあったのに、しばらくも躊躇ちゅうちょしているべきでない。衆徒はさっさと家に帰りなさい」といって、端近く出て行って言われるには、「大臣となるべき貴い家を出て、比叡山ひえいざんの静かな谷に修行のために入って以来、広く天台宗の教法を学んで、顕教・密教の二宗を学んだ。そしてただわが比叡山の興隆だけを念じてきた。また国家の繁栄をお祈りすることもひととおりでなく、衆徒を養育する志も深かった。大宮・二宮・聖真子の神々もさだめし御覧になっておられるだろう。わが身に過失はない。無実の罪によって、遠流おんるという重罪を受けたので、世も人も、神も仏もお恨みすることはない。ここまで尋ねて来られた衆徒方のありがたいお志にはなんとも十分返礼しようがない」といって、香染こうぞめ御衣おんころもそでをひどく涙でぬらされたので、衆徒もみな涙を流したのであった。御輿を寄せて、「さっさとお乗りになるべきです」と申したので、「昔は三千の衆徒の頭(座主)であった。だが今はこんな流人の身になって、どうして尊い修学者や知恵深い衆徒たちに、かつぎあげられて、山に登ることが出来よう。たとえ登りべきであっても、わらじなどというものを足にくくりつけて、皆と同じように歩きつづけて登ろう」といって、お乗りにならない。その時西塔の僧侶で、戒浄坊の阿闍梨あじゃり祐慶ゆうけいという荒法師がいた。たけ七尺ぐらいあったが、鉄のさねをまぜた大荒目の黒革縅くろかわおどしよろい草摺長くさずりながに着て、かぶとをぬぎ法師らに持たせて、白柄しらえ大長刀おおなぎなたつえにつき、「おあけなさい」といって、衆徒の中をおし分けおし分け、前座主のおられた所へつっと参った。大の眼をみはり怒らし、しばらくおにらみ申して、「そういう御心ですから、こんな目にもおあいになるのです。さっさとお乗りになるべきです」と申したので、明雲は恐ろしさに急いでお乗りになる。衆徒は迎えることが出来たうれしさに、卑しい法師らではなくいて尊い修学者どもが御輿をかつぎ上げ申し、わめき叫んで登ったが、輿をかつぐ人は交代したのに、祐慶は交代せず、輿の先のながえをかついで、長刀の柄も輿の轅もくだけよと握りしめながら、あれほど険しい東坂を平地を行くように東塔へ向かった。
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