~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/28 だい えん しやう (二)
平大納言へいだいなごん時忠卿ときただのきやう、其時はいまだ左衛門督さゑもんのかみにておはしけるが。上卿しやうけいにたつ。大講堂の庭に、三塔さんたふ会合して、上卿をとッてひつぱり、「しやかむりうちおとせ。其身をからめて湖に沈めよ」なんどぞ僉議せんぎしける。すでにかうとみえられけるに、時忠卿、「しばらくしづまられ給へ。衆徒しうとの御中へ申すべき事あり」とて、ふところより小硯こすずりたたうがみをとり出して、一筆ひとふで書いて、大衆の中へつかはす。是をひらいてみれば、「衆徒しゆと濫悪らんあくいたすは、魔縁の所行しよぎやうなり。明王めいわうの制止を加ふるは、善逝ぜんぜいの加護なり」とこそ書かれたれ。是をみて、ひッぱるに及ばず。大衆皆もつともつともと同じて、谷々たにだにへおり、坊々へぞ入りにける。一をもッて、三塔三千のいきどほりをやすめ、公私の恥をのがれ給へる時忠卿ときただのきやうこそゆゆしけれ。人々も山門の衆徒は発向のかまびすしきばかりかと思ひたれば、ことわり存知ぞんぢしたりけりとぞ感ぜられける。
(口語訳)
平大納言時忠ときただ卿はその時はまだ左衛門督さえもんのかみでおられたが、上卿しょうけいにたった。山門では大講堂の庭に、三塔の衆徒が会合して、上卿を捕え引っ張り、「そいつの冠を打ち落とせ。その身体をひっくくって、湖に沈めろ」などと評議した。すんでのことで乱暴されそうになった時に、時忠卿は、「しばらくお静かになさい。衆徒の方々へ申すべきことがある」と言って、ふところから小硯こすずり畳紙たとうがみを取り出し、一筆書いて、衆徒の中につかわした。これを開いて見ると、「衆徒が乱暴をするのは、魔縁のしわざである。天皇が制止するのは、仏の加護である」と書かれてある。これを見て、時忠卿を引っ張るまでもなく、衆徒は皆、「もっとも、もっとも」と賛成して、谷々へ降り、それぞれの坊へはいってしまった。一枚の紙一つの文句で、三塔三千の衆徒の憤りをしずめ、公私の恥をおのがれになった時忠卿はまことに立派である。人々も、山門の衆徒は押しかけてうるさくいうばかりかと思っていたら、道理もわかっていたのだと感心なさった。
おなじき廿日はつかのひ花山院くわさんのゐん権中納言ごんちゆなごん忠親卿ただちかのきやう上卿しやうけいにて、国司こくし加賀守かがのかみ師高もろたかつひ闕官けつくわんせられて、尾張をはり井戸田ゐどたへながされけり。目代もくだい近藤こんどうの判官はんぐわん師経もろつね、禁獄せらる。又さんぬる十三日、神輿奉ッし武士六人、獄定ごくぢやうせらる。左衛門尉さゑもんのじやう藤原正純ふぢはらのまさずみ右衛門尉うゑもんのじよう正季まさすえ、左衛門尉大江家兼おほえのいへかね、右衛門尉おなじく家国いへくに左兵衛尉さひやうゑのじよう清原康家きよはらのやすいへ右兵衛尉うひやうゑのじようおなじく康友やすとも、是等は皆小松殿こまつどのさぶらひなり。
(口語訳)
同二十日に、花山院権中納言忠親ただちか卿を上卿しょうけいとして、国司こくし加賀守師高もろたかはついに免官されて、尾張の井戸田いどたへ流された。目代もくだい近藤判官師経もろつねは、獄に入れられた。また去る十三日、神輿を射申した武士六人が入獄に決められた。左衛門尉正純まさずみ・右衛門尉正李まさすえ・左衛門尉大江家兼いえかね・右衛門尉大江家国いえくに・左衛門尉清原康家やすいえ・右衛門尉康友やすともで、これらはみな小松殿の侍である。
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