~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/18 ぐわん だて (三)
衆生等しゆじやうらたしかに承れ。大殿の北の政所まんどころ今日けふ七日なぬかわが御前おんまへこもらせ給ひたり。御立願ごりふぐわん三つあり。一つには今度殿下でんか寿命じゆみやうをたすけたべ。さも候はば、下殿したどのに候もろもろのかたはうどにまじはッて、一千日が間、朝夕みやづかひ申さんとなり。大殿の北の政所まんどころにて、世を世ともおぼしめさですごさせ給ふ御心おんこころに、子を思ふ道にまよひぬれば、いぶせき事も忘られて、あさましげなるかたはうどにまじはッて、一千日が間、朝夕みやづかひ申さむと、仰せらるるこそ、誠に哀れにおぼしめせ。二つには大宮の波止土濃はしどのより、八王子の御社おんやしろまで、廻廊くわいらうつくッて参らせむとなり。三千人の大衆、ふるにもてるにも社参の時、いたはしうおぼゆるに、廻廊つくられたらば、いかにめでたからむ。三つには今度殿下てんがの寿命をたすけさせ給はば、八王子の御社おんやしろにて、法花問答講ほつけもんだふこう、毎日退転なく、おこなはすべしとなり。いづれもおろかならねども、かみ二つはさなくともありなむ。毎日法花問答講は、誠にあらまほしうこそおぼしめせ。ただし今度の訴訟は、無下むげにやすかりぬべき事にてありつるを、御裁許ごさいきよなくして、神人じんにん宮仕みやじ射ころされ、きずかうぶり、泣く泣く参ッてうッたへ申す事の余りに心うくて、いかならむ世までも忘るべしともおぼえず。其上かれらにあたる所のは、しかしながら、和光垂跡わくわうすいしゆく御膚おんはだけにたッたるなり。まことそらごとは是をみよ」とて、肩ぬいだるをみれば、左の脇の下、大きなるかはらけの口ばかりいげのいてぞみえたりける。
(口語訳)
「人間ども、よく聞け。大殿の北の政所まんどころが、今日で七日間わが御前におこもりになった。立てられた願は三つある。一つには今度後二条関白殿の命を助けて下さい。そうしたら、参詣人の籠っている下殿したどのにいるいろいろのかたわ者に交じって、千日の間、朝夕山王に奉仕するということである。大殿の北の政所で、世間を何ともお思いにならないで過ごしてこられた御心にも、愛する子のことに思い迷ったので、気味悪い事もお忘れになって、きたならしいかたわ者に交じって、千日の間、朝夕奉仕しようと言われるのは、まことに哀れに思う。二つには大宮の前の橋殿はしどのから、八王子権現のおやしろまで、回廊を造って寄進しようという事である。三千人の衆徒が雨が降っても日が照っても社参の時に、気の毒に思われるから、回廊を造られたら、どんあに結構な事だろう。三つには今度後二条関白の寿命をお助けくださるなら、八王子権現のお社で、法華問答講ほっけもんどうこうを毎日続けて行わせるというのである。この三つはいずれも並みたいていの事ではないが、初めの二つはそんなでなくてもさしつかえなかろう。毎日法華問答講を行う件は、是非やってもらいたいものだと思う。ただし今度の訴訟は全くたやすい事であったのを、朝廷のご裁決がながくて、神人じんにん宮仕みやじが射殺され、傷を受け、泣く泣く参って自分に訴える事があまりに悲しくて、いつの世までも忘れられようとも思われない。そのうえ彼らに当たった矢は、そのまま山王の神の御はだに立ったのである。ほんとうかうそかはこれを見よ」といって、肩をぬいだのを見ると、左の脇の下に大きい土器に口ぐらいのえぐったような穴が見えた。
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