~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/07 鹿しし たに (二)
其比そのころの叙位、除目ぢもくと申すは、院内ゐんうちの御ばからひにもあらず、摂政せつしやう関白くわんぱく御成敗ごせいばいにも及ばず、ただ一向平家のままにてありしかば、徳大寺とくだいじ花山院くわさんのゐんもなり給はず、入道にふだう相国しやうこく嫡男ちやくなん小松殿、大納言の右大将うだいしやうにておかしけるが左にうつりて、次男宗盛むねもり、中納言にておはせしが数輩すはい上臈じやうらふ超越てうをつして右にくははられけるこそ申すはかりもなかりしか。中にも徳大寺殿とくだいじどのは一の大納言にて、花族くわそく英雄えいよう才学さいがく雄長いうちやう家嫡けちやくにてましましけるが、加階かかいこえられ給ひけるこそ遺恨なれ。「さだめて御出家なんどやあらむずらむ」と人々内々ないないは申しあえりしかども、しばらく世のならむやうをも見むとて、大納言を辞し申して、籠居ろうきよとぞきこえし。新大納言しんだいなごん成親卿なりちかのきやう宣ひけるは、「徳大寺とくだいじ花山院くわざんのゐんえられたらむはいかがせむ、平家の次男に超えらるるこそやすからね。是もよろづ思ふさまなるがいたす所なり。いかにもして平家をほろぼし、本望をちげむ」と宣ひけるこそおそろしけれ。父の卿は中納言までこそいたられしか、其末子ばつしにて、位正二位じやうにゐ大納言だいなごんにあがり、大国だいこくあまた給はッて、子息所從しよじゆう、朝恩にほこれり。何の不足にかかる心つかれけん、是ひとへ天魔てんま所為しよゐとぞみえし。平治へいじにも越後中将ゑちごのちゆうじやうとて、信頼卿のぶよりきやうに同心のあひだ、すでちゆうせらるべかりしを、小松殿やうやうに申して、くびをつぎ給へり。しかるに其恩を忘れて、外人ぐわいじんもなき所に、兵具ひやうぐをととのへ、軍兵ぐんぴやうをかたらひおき、そのいとなみの外は他事なし。
(口語訳)
その頃の叙位じょい除目じもくと申すのは、院と内裏の御はからいでみなく、摂政関白のご裁決なでもなく、ただひたすら平家の思うままだったので、徳大寺(実定)花山院かさんいん(兼雅)もおなりにならないので、入道相国の嫡男小松殿(重盛)が大納言・右大将でいらっしゃったのが左大将にうつり、中納言でいたっしゃった次男宗盛むねもりが数入の上位の貴族を飛び越して、右大将にお加わりになったのは、ことばで言い尽くせないあきれたことであった。中でも徳大寺とくだいじ殿は筆頭の大納言で、花族英雄かそくえいようであり、学識にすぐれ、徳大寺家の嫡子でいらっしゃったが、官位昇進を宗盛に越されなさったのは残念至極な事である。「きっとご出家などなさるだろう」と、人々が内々言い合っていたが、しばらく世の成行きでも見ようといって、大納言を辞して、家に引き籠るという事であった。新大納言成親卿が言われるには、「徳大寺・花山院に越されるのはしかたがないが、平家の次男に越されるのは全く心外だ。これも万事平家の思うままになっていることから生じたのだ。なんとしてでも平家を滅ぼし、本望を遂げよう」と言われたのは恐ろしい事であった。父の家成卿は中納言までお昇りになったが、その末子で、位は正二位、官職は大納言にあがり、大きな国をたくさんいただいて、子息・従者は皇恩を深くこうむり栄え時めいていた。何が不足でこのような気持になられたのだろう。これは全く天魔のなすところと思われた。平治の乱の時にも越後守兼中将として、藤原信頼卿に味方したので、ほとんど処刑されそうだったのを、小松殿がさまざまにとりなして、首をおつなぎになった。それなのにその恩を忘れて、よその人が誰もいない所に兵員を揃え、軍兵を語らい集め、平家を滅ぼす合戦の準備のほかは何もなかった。
Next