~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/07 鹿しし たに (三)
東山のふもと鹿ししたにと云ふ所は、うしろは三井寺みゐでらにつづいて、ゆゆしき城郭じやうくわくにてぞありける。俊寛しゅんくわん僧都そうづ山庄さんざうあり。かれに常は寄り合ひ寄り合ひ、平家ほろぼさむずるはかりごとをぞめぐらしける。或時あるとき法皇も御幸ごかうなる。少納言せうなごん入道ぬふだう信西しんぜいが子息、静憲じやうけん法印ほふいん御供おんとも仕る。其夜の酒宴に、此由を静憲法印に仰せあはせられければ、「あなあさまし。人あまたに承り候ひぬ。唯今ただいまもれきこえて、天下てんかの大事に及び候ひなんず」と、大きにさわぎ申しければ、新大納言けしきかはりて、ざッとたたれけるが、御前ごぜんに候ひける瓶子へいしを、狩衣かりぎぬそでにかけて、引倒ひきたふされたりけり、法皇、「あれはいかに」と仰せければ、大納言立帰たちかへつて、「平氏へいじたはれ候ひぬ」とぞ申されける。法皇ゑつぼにいらせおはしまして、「者ども参ッて猿楽さるがく仕れ」と仰せければ、平判官へいほうぐわん康頼やすより、参りて、「ああ、あまりに平氏のおほう候に、もて酔ひて候」と申す。俊寛僧都しゅんくわんそうづ、「さてそれをばいかが仕らむずる」と申されければ、西光法師さいくわうほふし、「くびをとるにしかじ」とて、瓶子のくびをとッてぞ入りにける。静憲法印あまりのあさましさに、つやつや物も申されず。返す返すもおそろしかりし事どもなり。与力よりきともがら誰々たれたれぞ。近江中将あふみのちゆうじやう入道蓮浄にぐだうれんじやう俗名成正なりまさ法勝寺ほつしようじの執行しゆぎやう俊寛僧都しゅんくわんそうづ山城守やましろのかみ基兼もとかね式部大輔しきぶのたいふ雅綱まさつな、平判官康頼、宗判官そうほうぐわん信房のぶふさ新平判官しんぺいほうぐわん資行すけゆき摂津国源氏つのくにのげんじ田蔵人たのくらんど行綱ゆきつなはじめとして、北面ほくめんともがらおほく与力したりけり。
(口語訳)
東山のふもと鹿ししの谷という所は、背後は三井寺みいでらに続いていて、すばらしい城郭であった。そこに俊寛僧都しゅんかんそうずの山荘がある。その山荘にいつも寄り集まり寄り集まり、平家を滅ぼそうとする陰謀をめぐらしていた。ある時後白河法皇もおいでになった。故少納言入道信西の子息静憲じょうけん法印がお供をした。その夜の酒宴で、法皇がこの陰謀について静憲法印に相談されたところ、静憲は、「まああきれたことだ。人が大勢承っております。今にも漏れ聞こえて、天下の大事になりましょう」と非常にあわてて騒いだので、新大納言(成親)は顔色が変わって、さっとお立ちになったが、御前にあった瓶子へいし狩衣かりぎぬそでに引っ掛けて倒された。それを御覧になった法皇が、「それはどういう事だ」と言われると、大納言は戻って来て、「平氏がふざけて倒れました」と申された。法皇は機嫌きげんよくお笑いになって、「者ども参って猿楽さるがくをいたせ」と言われたので、平判官康頼が参って、「ああ、あんまり平氏(瓶子)が多いので酔ってしまいました」と言う。俊寛僧都が、「さてそれをどうしましょう」と申されると、西光さいこう法師が、「首を取るのにこした事はない」といって瓶子の首を取って奥へはいってしまった。静憲法印はあんまりあきれた事なので、全然何も申されない。かえすがえす恐ろしい事であった。この陰謀に参加した者は誰々かというと、近江中将入道蓮浄れんじょう俗名成正なりまさ、法勝寺執行俊寛僧都、山城守基兼もとかね、式部大輔雅綱まさつな、平判官康頼やすより、宗判官信房のぶふさ、新判官資行すけゆき、摂津国の源氏多田蔵人行綱ゆきつなをはじめとして、北面の者が大勢この計画に加わった。