~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/10/19  わう (七)
かくて春過ぎ夏けぬ。秋の初風はつかぜ吹きぬれば、星合ほしあひの空をながめつつ、あまのとわたるかぢの葉に、思ふ事書くころなれや。夕日のかげの西の山のはにかくるるを見ても、「日の入り給うふ所は、西方浄土さいほうじやうどにてあんなり。いつかわれらもかしこにむまれて、物を思はですぐさむずらん」と、かかるにつけても過ぎにしかたのうき事共、思ひつづけてただつきせぬ物は涙なり。たそがれspan>どきも過ぎぬれば、竹の編戸を閉じふさぎ、ともしびかすかにかきたてて、親子三人念仏してゐたるところに、竹の編戸をほとほととうちたたく者出で来たり。其時尼ども肝を消し、「あはれ是はいふかひなき我等われらが、念仏して居たるを妨げんとて、魔縁まえんの来たるにてぞあるらむ。昼だにも人もとひこぬ山里の、しばいほりの内なれば、夜ふけてたれかは尋ぬべき。わづかの竹の編戸なれば、あけずともいしやぶらん事やすかるべし。なかなかだあけて入れんと思ふなり。それになさけけをかけずして、命をうしなふものならば、年比としごろ頼み奉る。弥陀みだの本願を強く信じて、ひまなく名号みやうがうをとなへ奉るべし。声を尋ねてむかへ給ふなる。聖衆しやうじゆ来迎らいかうにてましばせば、などか引摂いんぜふなかるべき。相かまへて、念仏おこたり給ふな」と、たがひに心をいましめて、竹の編戸をあけたれば、魔縁まえんにてはなかりけり、仏御前ぞ出できたる。
(口語訳)
こうして春が過ぎ夏も盛りをこえ末近くなった。そして初秋の風が吹きはじめると、牽牛けんぎゅう織女しょくじょの二星が会うという星空を眺めながら、天の川の瀬戸を渡る船の楫と同じかじの葉に、心に願う事を書きつける頃であるよ。夕日が西の山のに隠れるのを見ても、「日のおはいりになる所は、西方浄土だそうだ。いつかは我々もあそこに生れて、物思いもしないで過ごすようになるだろう」と思い、それにつけても過去のつらかった事などを思いつづけて、ただ涙がとめどなく流れるのだった。夕暮れ時も過ぎてしまうと、竹の編戸をしめ、燈火をかすかにともして、親子三人で念仏を唱えていたところに、竹の編戸をとんとんとたたく者が出て来た。その時尼たちは肝を消し、「ああ、これはいくじのない我々が念仏しているのを邪魔しようと、魔物が来たのだろう。昼でさえも誰も訪ねて来ない山里のそまつないおりの内だから、まして夜更けに誰が尋ねて来よう。わずかな竹の編戸だから、こちらで開けなくても押し破るのはわけもないことだろう。いっそのことただ開けて入れようと思うのだ。それなのに相手が情けをかけないで、命をとるものなら、年頃お願い申し上げている弥陀みだの本願を強く信じて、たえず南無阿弥陀仏なむあみだぶつの名号をお唱えしていよう。声を尋ねてお迎えに来て下さるという仏菩薩がたの来迎らいごうでいらっしゃるから、どうして浄土に引き取ってくださらぬ事があるだろう。けっして念仏を怠りなさるな」と、互いに心を戒めて、竹の編戸を開けたところ、魔物ではなかった、魔と反対の仏、仏御前が出て来た。
Next