~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/10/19  わう (六)
「親のめいをそむかじと、つらき道におもむいて、二度ふたたびうきめを見つることの心うさよ。かくて此世にあるならば、又うきめを見むずらん。今はただ身を投げんと思ふなり」といへば、妹の祇女ぎにょも、「姉身を投げば、われも共に身を投げん」といふ。母とぢ是を聞くにかなしくて、いかなるべしともおぼえず。泣く泣く又教訓しけるは、「まことにわごぜのうらむるもことわりなり。さやうの事あるべしとも知らずして、教訓して参らせつる事の心うさよ。ただしわごぜ身を投げば、妹も共に身を投げんといふ。二人の娘共におくれなん後、年老い衰へたる母、命生きてもなににかはせむなれば、我も共に、身を投げむと思ふなり。いまだ死期しごきたらぬ親に、身を投げさせん事、五逆罪にあらんずらむ。此世はかりの宿やどりなり。恥ぢても恥ぢでも何ならず。ただながき世のやみこそ心うけれ。今生でこそあらめ、後生でだに、悪道へおもむかんずる事のかなしさよ」と、さめざめとかきくどければ、祇王涙をおさへて、「げにもさやうにさぶらはば、五逆罪うたがひなし。さらば自害は思ひとどまりさぶらひぬ。かくて都にあるならば、又うきめもみむずらん。今はただ都のほかへ出でん」とて、祇王廿一にて尼になり、嵯峨さがの奥なる山里に、しばいほりをひきむすび、念仏してこそゐたりけれ。妹の祇女ぎによも、「姉身を投げば、我も共に身を投げんとこそ契りしか、まして世をいとはむに、たれかはおとるべき」とて、十九にてさまをかへ、姉と一所いつしよこもて、後生をねがふぞあはれなる。母とぢ是を見て、「わかき娘どもだにさまをかふる世の中に、年老い衰へたる母、白髪しらがをつけてもなににかはせむ」とて、四十五にてかみをそり、二人ににんの娘諸共もろともに、一向専修いつかうせんじゆに念仏して、ひとへに後世をぞねがひける。
(口語訳)
祇王が、「親の命に背くまいと、つらい道に出かけて行って、二度悲しい目にあった事のつらさよ。こうしてこの世に生きているならば、また悲しい目をみるだろう。今はただ身を投げようと思うのです」と言うと、妹の祇女も、「姉が身を投げるのなら、私も一緒に身を投げます」と言う。母のとじ・・はこれを聞くと悲しくて、どうしてよいかもわからない。泣く泣くまた教訓をして言うには、「ほんにお前が恨めしく思うのも道理だ。そんな事があろうとも知らずに、教訓して参らせた事がなんともつらい。ただしお前が身を投げるなら、妹も一緒に身を投げようと言う。二人の娘に先立たれた後、老衰した母が、生きながらえていてもしかたがないから、私も一緒に身を投げようと思うのだ。まだ死期も来ていない親に、身を投げさせる事は、五逆罪ごぎゃくざいに当たるだろう。この世は仮の宿のようなももだ。恥をかいてもかかなくても、なんということはない。ただ未来永久にわたって、光明の浄土に往生できないで、暗黒の世界に転々とするのこそつらく情けない事だ。この世ではともかくも、あの世でさえ、悪道へお前がおもむかねばならない事は悲しいことだ」とさめざめと泣いてくどいたので、祇王は涙をこらえて、「なるほどそういう事でしたら、私が五逆罪に当たる事は疑いありません。それならば自殺は思いとどまりました。こうして都にいるならば、またつらい目にも会う事でしょう。今はただ都を出ましょう」といって、祇王は二十一で尼になり、嵯峨さがの奥の山里に、そまつないおりを造って、念仏を唱えて過ごしていた。妹の祇女も、「姉が身を投げるなら、自分も一緒に身を投げようと約束したのでしたが、ましてそのように世をいとって出家するというのに、誰が負けていましょうか」といって、十九で姿を変えて尼になり、姉の祇王と一緒に籠っていて、後世の幸福を願っているのはあわれである。母のとじ・・はこれを見て、「若い娘たちでさえ尼になる世の中に、年をとり衰えた母が、白髪をつけて残っていてもしかたがない」といって、四十五歳で髪をそり、二人の娘と一緒に、余念なく念仏を唱えて、一途いちずに後世の幸福を願っていた。
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