~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/10/19  わう (五)
ひとり参らむは、余りに物うしとして、妹の祇女ぎによをも相具あひぐしけり。其外そのほか白拍子二人ににん、そうじて四人しにん、一つ車に取乗とりのって、西八条へぞ参りたる。さきざき召されける所へは入れられず、はるかに下がりたる所に、座敷しつろうておかれたり。祇王、「こはされば何事さぶらふぞや。わが身にあやまつ事はなけれども、すてられ奉るだにあるに、座敷をさへさげらるることの心うさよ。いかにせむ」と思ふに、知らせしとおさふるそでのひまよりも、あまりて涙ぞこそこぼれける。仏御前是をみて、あまりにあはれに思ひければ、「あれはいかに、日比ひごろ召されぬ所でもさぶらはばこそ、是へ召されさぶらへかし。さらずはわらはにいとまをたべ。出でて見参けんざんせん」と申しければ、入道、「すべて其儀あるまじ」と宣ふ間、力およばで出でざりけり。其後そののち入道、祇王ぎわうが心のうちをば知り給はず、「いかに其後何事かある。さては仏御前ほとけごぜんがあまりにつれづれげに見ゆるに、今様いまやう一つ歌へかし」と宣へば、祇王参る程では、ともかうも入道殿の仰せをばそむくまじと思ひければ、おつる涙をおさへて、今様一つぞ歌うたる。
仏も昔は凡夫ぼんぷなり 我等われらつひには仏なり
いづれも仏性せる身を へだつるのみこそかなしけれ
と、泣く泣く二返へん歌うたりければ、其座にいくらもなみゐ給へる、平家一門の公卿くぎやう殿上人てんじやうびと諸大夫しよだいぶさぶらひに至るまで、皆感涙をぞながされける。入道もおもしろげに思ひ給ひて、「時にとつては神妙しんっべうに申したり。さては舞も見たけれども、今日けふはまぎるる事いできたり。此後こののちは召さずとも常に参って、今様をも歌ひ、舞なンどをも舞うて、仏をなぐさめよ」とぞ宣ひける。祇王とかのう御返事おんぺんじにも及ばず、涙をおさへて出でにけり。
(口語訳)
祇王はひとりで参るのは、あまりにつらいといって、妹の祇女ぎによも連れて行った。そのほか白拍子二人、全部で四人、同じ栗真に乗って西八条へ参った。すると以前にお召しを受けた所へは入れられないで、ずっと下手しもての所に、座席を設けて置かれた。祇王は、「これはいったい何事でしょうか。自分の身に過失はないが、入道殿から捨てられ申した、その事さえひどいと思うのに、座席までこのように下げられるとは、なんとつらい事だろう。どうしよう」と心の中で思うにつけ、その心中を人に知らせまいと心をおさえ、くやし涙をそででおさえていたが、その袖の間からも、おさえきれぬ涙がこぼれ落ちた。仏御前はこれを見て、あまりにも気の毒に思ったので、「おや、あれは祇王さま、それなら日頃お召しにならない所ならとにかく、いつもお召しなのですから、ここへお召しなさいませ。さもなければ、私にお暇を下さい。出て行って会いましょう」と申したところ、入道は、「全然そんな事はしてはならぬ」と言われるので、仏御前はしかたなく祇王の所へ出て行けなかった。その後入道は祇王の心中をご存じなくて、「どうだ、その後どうしているか。それでは仏御前があまり手持無沙汰でさびしそうに見えるから、今様いまようを一つうたってくれ」と言われるので、祇王は参るからには、ともかくも入道殿の仰せを背くまいと思ったので、落ちる涙をおさえて今様を一つうたった。
(仏も昔は凡人であった。我らもしまいには悟りをひらいて仏になれるのだ。そのように誰もが仏になれる性質を持っている身なのに、このように仏─仏御前─と自分を分け隔てするのが、まことに悲しい事だ)
と、泣く泣く二遍うたったので、その場にたくさん並んでおられた平家一門の公卿くぎょう・殿上人・諸大夫・侍にいたるまで、皆感激の涙を流された。入道も興味深く思われて、「この場としては殊勝に申した。それでは舞も見たいけれども、今日はほかに用事ができた。今後召さなくても、いつも参って、今様もうたい、舞なども舞って、仏御前を慰めよ」と言われた。祇王はなんともご返事もしないで、涙をおさえて退出した。
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