~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/10/16  わう (四)
かくて今年ことしも暮れぬ。あくる春のころ入道にふだう 相国しやうこく、祇王がもとへ使者を立てて、「いかに、其後何事かある。仏御前が余りにつれづれげに見ゆるに、参つて今様をも歌ひ、舞なンども舞うて、仏なぐさめよ」とぞ宣ひける。祇王とかうの御返事おんぺんじ事にも及ばず。入道、「など祇王は返事はせぬぞ。参るまじいか。参るまじくはそのやうを申せ。浄海じやうかいもはからふむねあり」とぞ宣ひける。母とぢ是を聞くにかなしくて、いかなるべしともおぼえず。泣く泣く教訓しけるは、「いかに祇王ぎわう御前ごぜん、ともかうも御返事おんぺんじを申せかし、左様さやうにしかられ参らせんよりは」といへば、祇王、「参らんと思ふ道ならばこそ、軈而やがて参るとも申さめ、参らざらむものゆゑに、何と御返事を申すべしともおぼえず。『此度このたび召さんに参らずば、はからふむねあり』と仰せらるるは、都のほかいださるるか、さらずは命を召さるるか、是二つにはよも過ぎじ。たとひ都をいださるるとも、歎くべき道にあらず。たとひ命を召さるるとも、惜しかるべき又我身わがみかは。一度ひとたびうき者に思はれ参らせて、二度ふたたびおもてをむかふべきにもあらず」とて、なほ御返事をも申さざりけるを、母とぢ重而かさねて教訓しけるは、「あめが下に住まんほどは、ともかうも入道殿の仰せをばそむくまじき事にてあるぞとよ。男女のえん宿世しゆくせ、今にはじめぬ事ぞかし。千年万年とちぎれども、やがてはなるる中もあり、白地あからさまとは思へども、存生ながらへ果つる事もあり。世にさだめなきものはをとこをんなのならひなり。それにわごぜは此三年みとせまで思はれ参らせたれば、ありがたき御情おんなさけでこそあれ。召さんに参らねばとて、命をうしなはるるまではよもあらじ。ただ都の外へぞいだされんずらん。たとひ都をいださるとも、わごぜたちは年若ければ、いかならん岩木いはきのはざまにても、すごさん事やすかるべし。年老い衰へたる母、都の外へぞいだされんずらむ、ならはぬひなの住ひこそ、かねて思ふもかなしけれ。ただわれを都のうちにて、住み果てさせよ。それぞ今生後生の孝養けうやうと、思はむずる」といへば、祇王うしと思ひし道なれども、親のめいをそむかじと、泣く泣く又出で立ちける、心のいちこそむざんなれ。
(口語訳)
こうして今年も暮れた。翌年の春頃に、入道相国が、祇王の所へ使者を立てて、「どうだ、その後どうしているか。仏御前があまりにさびしそうに見えるから、こちらへ参って今様いまようも歌い、舞なども舞って、仏を慰めてくれ」と言われた。祇王はそれに対してどうこうのご返事もしない。入道は、「どうして祇王は返事はしないのだ。参らないつもりか。参らないのならそのわけを申せ。浄海もとりはからうことがある」と言われた。母とぢ・・はこれを聞くと悲しくて、どうしたらよいかもわからない。泣く泣く娘に教訓するには、「ねえ祇王御前、どうともこうともご返事を申しなさいよ。このようにおしかりを受けるよりは」と言うと、祇王は、「おやしきへ参上しようと思うのならば、すぐに参りますとも申しましょう、だが参らないつもりですから、なんとご返事を申してよいかわかりません。『今度召した際に参らないなら、とりはからう事がある』と言われるのは、都の外に追放されるのか、そうでないなら命を召されるか、この二つ以上の事はままさかありますまい。たとえ都を追放されるにしても、歎くべき事ではありません。たとえ命を召されるにしても、また惜しいようなわが身でしょうか。一度いやな者と入道殿に思われ申して、再び対面する気もしません」といって、やはりご返事もしなかったのを、母のとぢ・・は重ねて教訓して言うには、「この日本の国に住んでいる間は、どうとここうとも入道殿の仰せを背いてはならない事であるぞ。男女の縁とか宿世というものは、今に始まった事ではないのだよ。夫婦になって千年何年も添い遂げようと契りを結ぶけれども、まもなく別れる男女の仲もある。ほんのかりぞめと思って夫婦になっても、そのまま連れ添って生涯を終わる事もある。まことに定めのないものは、男女の仲の常である。それにお前はこの三年の間入道殿のご寵愛ちょうあいをお受けしたのだから、世にもまれな入道殿のお情けというものだよ。お召しになった時に参上しないからっといって、命を失われるまでの事は、まさかあるまい。ただ都の外へ追放されるだろう。たとえ都を追放されても、お前たちは年が若いから、どんな辺鄙へんぴな所でも暮らす事はたやすいだろう。老衰した母も、都の外へ追放されるだろうが、慣れない田舎いなか住いを予想するのも悲しい事だ。ただ私を都の中で一生住めるようにしておくれ。それが何より現世・来世での親孝行だと思うのだ」と言うので、祇王は西八条へ行くのはいやだと思っていた道だが、親の命令に背くまいと、泣く泣くまた出かけた、その心中はまことに痛ましい事であった。
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