入道
出であひ対面して、「
今日
けふ
の見参は、あるまじかりつるものを、
祇王
ぎわう
がなにと思ふやらん、余りに申しすすむる間、か
様
やう
に見参しつ。見参するほどにては、いかでか声をも聞かであるべき。
今様
いまやう
一つ歌へかし」と宣へば、仏御前、「承りさぶらふ」とて、今様一つぞ歌うたる。 |
君をはじめて見る
折
をり
は
千代
ちよ
も
経
へ
ぬべし
姫小松
ひめこまつ
御前
おまへ
の池なる
亀岡
かめをか
に
鶴
つる
こそむれゐてあそぶめれ |
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と、おし返しおし返し、三
返
べん
歌ひすましたりければ、
見聞
けんもん
の人人、みな
耳目
じぼく
をおどらかす。入道もおもしろげに思ひ給ひて、「わござは今様は
上手
じやうず
でありけるよ。この
定
ぢやう
では、舞もさだめてよかるらむ。一番見ばや。
鼓
つづみ
打
うち
召せ」とて召されけり。うたせて一番舞うたりけり。 |
(口語訳) |
入道は出て行って対面して、「今日会うことはしないつもりだったが、祇王が何と思ってか、あまりに勧めるから、このように会ったのだ。会ったからには、どうしてお前の声を聞かないでおられようか。
今様
いまよう
を一つうたってくれ」と言われると、仏御前は、「承知しました」といって、今様を一つうたった。 |
(わが君を初めて見る時は、あまりにもご立派なお姿なので、姫小松-私-は千年も命が延びそうな気がします。君の御前の池にある中島の亀山に、鶴が群がっていて、楽しそうに遊んでいるようです) |
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と、繰り返し繰り返し、三遍立派にうた終わったので、見聞きしていた人々は、皆びっくりした。入道も興味深く思われて、「お前は今様は上手であったな。この分では、
舞
まい
もきっと上手だろう。一番見たいものだ。鼓打を呼べ」といって、お召しになった。仏御前は、鼓を打たせて舞を一番舞った。 |
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仏御前は、かみすがたよりはじめて、みめかたち美しく、声もよく
節
ふし
も上手でありければ、なじかは舞も損すべき。心もおよばず舞ひすましたりければ、
入道
にふだう
相国
しやうこく
舞にめで給ひて、仏に心をうつされけり。仏御前、「こはされば何事さぶらふぞや。もとよりわらはは推参の者にて、
出
いだ
だされ参らせさぶらひしを、
祇王
ぎわう
御前
ごぜん
の
申状
もうしじやう
によってこそ、召しかへされてもさぶらふに、かように召しおかれなば、祇王御前の思ひ給はん心のうちはづかしうさぶらふ。はやはや
暇
いとま
をたうで、
出
いだ
させおはしませ」と申しければ、入道、「すべてその儀あるまじ。
但
ただ
し祇王があるをはばかるか。その儀ならば祇王をこそ
出
いだ
さめ」とぞ宣ひける。
仏御前、「それ又、いかでかさる御事さぶらふべき。
諸共
もろとも
に召しおかれんだにも、心うさぶらふべきに、まして祇王御前を
出
いだ
させ給ひて、わらはを一人召しおかれなば、祇王御前の心のうち、はづかしうさぶらふべし。おのづから
後
のち
まで忘れぬ御事ならば、召されて又は参るとも、
今日
けふ
は
暇
いとま
を給はらむ」とぞ申しける。
入道、「なんでう、其儀あるまじ。祇王とうとう
罷出
まかりい
でよ」とお
使
つかひ
かせねて三
度
ど
までこそたてられけれ。 |
(口語訳) |
仏御前は、髪かっこうをはじめ、顔かたちが美しく、声がよく節回しも上手だったので、どうして舞も失敗することがあろうか。思いも及ばないほどに立派に舞い終わったので、入道相国は舞に感心なさって、仏に心を移された。仏御前は、「いったいこれは何事ですか。もともと私は推参の者で、追い出されましたのを、
祇王
ぎおう
御前
ごぜん
のおとりなしによって召し返されたのですのに、このように私を召し置かれたなら、祇王御前がなんとお思いになるか、その御心に対して気恥ずかしゅうございます。さっさとお暇を下さって、退出させてくださいませ」と申したところ、入道は、「全然そういう事はしてはならない。ただし祇王がいるから遠慮するのか。それなら、祇王を追い出そう」と言われた。仏御前は、「それはまたどうして、そんな御事があってよいでしょう。祇王御前と一緒に召し置かれることでさえも心苦しゅうございますのに、まして祇王御前をお出しになって私一人をお召し置きになるなら、祇王御前の気持ちに対して、気恥ずかしゅうございます。もしも後々まで私をお忘れにならぬのなら、召されてまた参る事がありましても、今日はお暇をいただきましょう」と申した。入道は、「どうしてもそんなん事はしてはならぬ。祇王、さっさと退出せよ」と、お使いを重ねて三度まで出された。 |
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