~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/10/11  わう (二)
かくて三年みとせと申すに、又都に聞えたる白拍子の上手じやうず一人いちにんで来たり。加賀国かがのくにの者なり。名をばほとけとぞ申しける。年十六とぞ聞えし。「昔よりおほくの白拍子ありしが、かかる舞はいまだ見ず」とて、京中の上下、もてなす事なのめならず。ほとけspan>御前ごぜん申しけるは、「我天下てんかに聞こえたれども、当時さしもめでとう栄えさせ給ふ、平家へいけ太政だじやう入道にふだう殿どのへ、召されぬ事こそ本意ほいなけれ。あそび者のならひ、なにか苦しかるべき、推参すいさんして見む」とて、ある時西八条にしはちでうへぞ参りたる。人参って、「当時都にきこえ候仏御前こそ、参って候へ」と申しければ、入道にふだう、「なんでう、さやうのあそび者は、人のめしにしたがうてこそ参れ。左右さうなう推参するやうやある。其上そのうへ祇王があらん所へは、神ともいへ仏ともいへ、かなふまじきぞ。とうとう罷出まかりいでよ」と宣ひける。
(口語訳)
こうして清盛の寵愛を受けて三年という頃、また京都に評判の高い白拍子の名手が、一人現れた。加賀国の者である。名をほとけと申した。年は十六ということであった。「昔から多くの白拍子がいたが、こんなすばらしい舞はまだ見たことがない」といって、京都中の人々がもてはやすことは、ひととおりではない。仏御前ほとけごぜんが申すには、「自分は天下に有名だが、現在あれほどめでたく栄えておられる平家太政の入道殿の所へ、召されないのは残念だ。押しかけて参るのは遊女の常、なんの不都合があろうか、推参してみよう」といって、ある時西八条へ推参した。人が清盛の所に参って、「現在都で評判の仏御前が、参っております」と申したところ、入道、「なんということだ、そのような遊女は、人の招きに従って参るものだ。すぐに推参するということがあるものか。そのうえ祇王がいる所へは、神といおうと仏といおうと、参ることは許されぬぞ、さっさと退出せよ」と仰せられた。
仏御前は、すげなういはれたてまつつて、すでに出でんとしけるを、祇王、入道殿に申しけるは、「あそび者の推参は、常のならひでこそさぶらへ。其上年もいまだをさなうさぶらふなるが、適々たまたま思ひたつて参りてさぶらふを、すげなう仰せられてかへさせ給はん事こそ、不便ふびんなれ。いかばかりはづかしう、かたはらいたくもさぶらふらむ。わが立てし道なれば、人の上ともおぼえず。たとひまひを御覧じ、歌をきこしめさずとも、御対面ごたいめんばかりさぶらうて、かへさせ給ひたらば、ありがたき御情おんなさけでこそさぶらはんずれ。唯をまげて、召しかへして御対面さぶらへ」と申しければ、入道、「いでいでわごぜがあまりにいふ事なれば、見参けんざんしてかへさむ」とて、使つかひをたてて召されけり。仏御前ほとけごぜんは、すげなういはれたてまつつて、車に乗つて、すでに出でんとしけるが、召されて帰り参りたり。
(口語訳)
仏御前はそっけなく入道から言われ申して、ほとんど退出しようとしていたが、それを聞いて祇王が入道殿に申すには、「遊女の推参は、いつもよくあることです。そのうえ年もまだ若いそうですが、たまたま思い立って参ったのですのに、そっけなくおっしゃられてお帰しになるのは、まことにかわいそうです。どれほど気恥ずかしく、また気の毒な事でもございましょう。白拍子は私が生計を立ててきた道ですから、人の上とも思われません。たとえ舞を御覧にならず、歌をお聞きにならないでも、ご対面だけでもなさって、お帰しになったら、このうえないお情けでございましょう。ただ道理をまげて、仏御前を召し返してご対面ください」と申したので、入道は、「どれどれ、ではお前があんまり言う事だから、会って帰そう」といって、使いをたてて仏御前をお召しになった。仏御前はすげなく言われて、車に乗ってほとんどやしきを出ようとしていたが、召されて、戻って来た。
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