~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/19
巴 (三)
その五騎の中に、まだ巴は残っていた。それを見た時、義仲は言った。
木曽殿「おのれはとうとう、をんななれば、いづちへもゆけ。我は打死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曽殿の最後のいくさに、女をぐせられたりかりな(ン)どいはれん事もしかるべからず」との給ひけれ共、猶おちもゆかざりけるが、あまりにいはれ奉りて、「あ(ツ)ぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさしてみせ奉らん」とて、ひかへたるところに、武蔵国に、聞えたる大ぢから、をん田の八郎師重、丗騎ばかり出きたり。ともゑそのなかへかけ入り、をん田の八郎におしならべて、むずとと(ツ)てひきおとし、わがの(ツ)たる鞍のまへわにをしつけて、ち(ツ)ともはたらかさず、頸ねぢき(ツ)てすてて(ン)げり。その後物具ぬぎすて、東国の方へ落ぞゆく。
(義仲が「巴よ、お前は、女だから、どこへでもいい、早く落ちて行け、自分は今日ここで討死する。もし人手にかかるようなことがあったら自害するつもりだから、木曽殿は最後まで女を連れていたなどと言われるのもしゃくだから」と言ったが、巴はなかなか離れて行こうとはしなかった。が、あまり義仲にそう言われるので「ああ、相手にするによい敵がいないものか。私の最後の働きをお目にかけようものを」と言って、馬を立てて待ち受けていると、そこへ、武蔵国でも大力の聞こえの高い御田八郎が三十騎ばかりひきいて出て来た。巴はこれを見ると、その軍勢の中に駆け入り、御田八郎にぴったりと馬を並べ、むんずと組んで馬から引き落とし、自分の馬の鞍の前輪の部分にぐいと押しつけ、ちっとも相手を自由にさせず、首をねじきって捨ててしまった。そうしておいて彼女は鎧を脱ぎ捨てて、東国の方へ落ちて行った)
巴の男勝りの活躍ぶりが描かれているのは、この部分だけである。簡潔な描写だが、彼女の颯爽たる働きぶりが目に浮かぶようだ。彼女が本気になれば、力自慢の大の男もどうすることも出来ない。鞍の前輪に押し付けられたまま、首をねじ切ってしまう。
大の男を向こうにまわしてこうした働きをする女丈夫の巴だが、面白いことに『平家』は彼女については、色白の美女だ、と書いている。平安朝的な感覚からすれば、こんな女は沙汰の限りで、野蛮な女だとか、大女で醜いと書かれても仕方のない所なのに、『平家』はそう書いてはいない。このあたりが『平家』独自の感覚である。
確かに『平家』の中の女性は、王朝的、『源氏物語』的な基準で描かれている場合が多いのだが、それでは律しきれない時代になって来ているのだ。女性描写ばかりでなく『平家』は王朝的な美意識にひきずられながらも別の世界を生み出している。巴の場合などは、まさにそのあらわれであろう。
さらにもう一つ、『平家』は滅びゆく者に対しては、いつもかぎりない愛情の眼を向けている。あれほど戯画化して描いた義仲に対しても、その死について語る時は、ひどく哀切な思いが込められているのでもわかる通りである。
乳兄弟も兼平を求めて走り寄った彼が、
「六条河原の戦いで死んでもいいと思ったのだが、お前に逢いたさの一心でここまで来たのだぞ」
と言い、最後の力をふりしぼって戦うあたり、また、最後に兼平とたった二騎になって
日来はなにともおおえぬ鎧が、けふはおもうな(ツ)たるぞや
と泣くあたり、『平家』の中での最も感動的な部分である。この敗将義仲の悲劇的な最後に従った女武者巴にも、筆者があわれみの眼を向けたのも当然のことかも知れない。
とはいうものの、都人である『平家』の筆者にとっては、未開野蛮人に征服されたような、まことに息苦しい、勝手の違った感じの半年間であったろう。こうした地方人が都を制圧することがあるという現実を目の当たりに体験しながらも、彼らに対する違和感は、最後まで捨てることが出来なかったに違いない。その意味では木曽勢は、都人にとっては、最後まで異邦人だった。そこへ行くと鎌倉勢はもっと柔軟だし、妥協的でもある。しかも現実に都に居坐って、『平家』の作者たちとも接触しているし、付き合ってみれば、それほど異質な人間ではない。少なくとも木曽に感じたような隔絶感はしだいに薄められつつある。そして記憶の中の木曽勢は、ますます異邦人的なものとしての印象を深めて行く。そしてこのあたりに、巴のような女武者の話を生み出す素地があった、と私は思っている。
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