~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/18
巴 (一)
義仲の上洛に従って木曽谷からやって来た巴は、『平家』の中では、極めて特色のある女性である。もっとも、物語の中で彼女の登場する部分はごく少ないが、それでも、短い文章の中に彼女の個性はくっきり現れている。
第一に彼女は、その生い立ちが示すように、田舎の女だ。木曽谷に育ち、もし、こうした歴史の大変動がなかったら、絶対に都など見ることはなかった人間である。しかも彼女は田舎の育ちにふさわしく、骨太で体格がいい。『平家』には都の女性以外はほとんど登場しないし、かりに登場したとしても、重衡の最後の愛人となった千手のように、およそ東国の女性らしくない、都会人と変わらない存在として描かれているのに、巴だけは、全く別のタイプとして取扱われている。
しかも、彼女は、骨太なたくましい女性にふさわしく、荒馬を乗りこなし、男勝りの働きをする女武者だ。『平家』の中の女性は、みな、なよなよとしているのに、これも全く異質である。
木曽殿は信濃より、ともゑ・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはり(ツ)て、都にとどまりぬ。中にもともゑはいろしろく髪ながく、容顔まことにすぐれたり。ありがたきちよ弓、せい兵、馬のうへ、かちだち、うち物も(ツ)ては鬼にも神にもあはふといふ一人当千の兵也。究竟のあら馬のり、悪所おとし、いくさといへば、さねよき鎧きせ、おほ太刀・つよ弓もたせて、まづ一方の大将にはむけられけり。度々の高名、肩をならぶるものなし。
(木曽義仲は、信濃から、巴、山吹という二人の美女を連れて来ていた。山吹は病気で都にとどまった。中にも巴は色白く、髪は長く、大変美貌だった。しかも稀に見る強弓をひく剛の者で、馬に乗っても、徒歩立ちでも、刀剣を持てば、鬼でも神でも相手にしようという一人当千の女武者だった。屈強の荒馬乗りで、難所をうまく乗りこなす名手だったから、戦さといえば、色とりどり美しい鎧を着せ、大太刀や強弓をもたせて、まず一方の大将にして敵陣へさしむけられた。そこで度々たてた手柄は、並ぶものがないくらいだった)
女といえば、おしとやかにしているものと相場の決まっていたその頃としては、全く型破りの女だ。『平家』が一人当千の「兵」と男並みにいっているのが、まことに面白い。

彼女は一説によると小曾の豪族、今井兼平の娘ということになっている。が、兼平は義仲の乳母の子 ── いわば乳兄弟だから、その娘では義仲の愛人としては年が違いすぎる。むしろ兼平の妹と見た方がいいのではないか。とすれば、兼平の父、中原兼遠の娘ということになるが、実を言うと彼女は、北条政子や建礼門院のように実在性の確かめられる存在ではない。いたとも言えるし、いないとも言える ── といった感じで、まして彼女が人並み優れた女武者だったかどうかは、『平家」とか『源平盛衰記』のような物語にしか伝えられていない。
が、ここで必要なのは、そうした実在性の詮索より、『平家』が義仲にまつわる人物として、どうしてこういう異色の人物をとりあげたかということであろう。『平家』に登場する鎌倉方の勇猛な武者はたくさんいるし、それぞれ個性的で、平家側とは違った活躍ぶりを見せるが、この中にはなぜか女武者はいない。
では、木曽義仲の物語にだけ、なんで巴のような女性が登場するのか、この事を考えながら彼女の生き方を辿ってみよう。彼女の父と思われる中原兼遠は、小曾谷きっての豪族で、妻は義仲の乳母だった。生まれたころは武蔵国で育った義仲だったが、二歳の時、父を源義平(頼朝の異母兄)に討たれて木曽の逃れ、兼遠の庇護を受けて成長した。義仲と頼朝はいとこの間柄だが、両者の父、義賢と義朝は、関東における源氏内部の主導権争いの過程で戦わざるを得ない立場にあったのである。が、幼い義仲はもちろんそんなことまで知らないうち、木曽に連れて来られてしまった。中原兼遠の娘巴とは、いわば幼なじみで、彼らが自然に恋人となったであろうことは想像がつく。
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