~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/18日
維 盛 の 妻 (六)
さて、その後維盛の妻は、大覚寺にひっそりと暮らしていたが、鎌倉方の代官、北条時政に、その隠れ家をつきとめられてしまう。
「小松三位中将の若君、六代御前がここにいらっしゃると承って参りました。早々若君をお渡しありたい」
すでに十二歳になっていた六代は、覚悟を決めて母に言う。
「ままろ拒んで武士たちに踏み込まれたりすると、母君や皆の者のみじめな姿を見られてしまします。とにかく行って参りましょう。しばらくしたら暇乞いとまごいをして帰って来ますから、心配なさいますな」
夫に先立たれた妻は、こんな時も何も言えない。今こそ自分が羽を広げて子供をかばうべきなのに、今度もむしろ子供に力づけられる有様なのである。平凡な妻の無力さが行間からにじみ出ている。そしてその時彼女が六代にしてやれたことは、黒檀こくたんで作った数珠じゅずを持たせてやることだけだった。
六代が連れて行かれてしまった後、彼女は、もう生きた心地もなく泣き伏してしまう。
「何でも鎌倉方では、この頃平家の子供たちをとり集めて水に投げ込んだり、土に埋めては押し殺し、刺し殺すというではありませんか。あの子はどうやって殺されるのかしら。あの子は生まれた時から乳母にもあずけずに側において可愛がっていたのに・・・・。
夫がなくなってからは六代と姫君を左右において、せめて心のなぐさめにしていたのに、この先どうしたらいいのか。いえ、こうなることは考えないではなかったのだけれど、まさか昨日、今日とは思いもかけなかった・・・・。長谷観音さまを信仰していたのに、やっぱり、取られてしまった・・・・」
夜中まで眠れない様子でいたが、突如起き上がって乳母に言う。
「うとうととしたら、あの子が白い馬に乗って来たんですよ。あまり恋しいから、ちょっとの間、暇をもらってまいりましたと言って、ふとうらめしそうな顔をして泣くのです。おどろいて、目が覚めて、もしやと床をさぐってみたら、やはり何もなかった・・・・夢だったのねえ。それなら覚めなければよかったのに・・・・」

夫に別れた彼女は、さらに愛するわが子との間も引裂かれてしまった。この平凡な女性は、か弱い肩には背負いきれないほどの重荷を背負って、なおも生き続けなければならなかったのである。
が、この六代の命は、このときは奇跡的に助けられる。高尾山の文覚もんがくがいて、彼が鎌倉の頼朝と親しい事を聞き知っていた一人の女房が、そっとその寺に訪ねて行き、命乞いを頼むのだ。
文覚は頼朝の父義朝のしゃれこうべを見せて挙兵をそそのかしたといわれている怪僧である。話を聞くと、六波羅にいる北条時政のもとにかけつけ、二十日間の猶予を申し入れ、自ら鎌倉へ助命を乞いに飛んで行く。というのも、頼朝が文覚のこれまでの努力を多とし、彼のいうことならば何でも聞いてやるという約束をしていたからが。
六代に付き添っていた斎藤五、斎藤六からその話を聞いた母親や乳母は、これも観音の御たすけと、ひたすらその加護を祈りつづける。ところが文覚はなかなか帰って来ない。時政も六代の神妙さに心を動かされるが、やむなく彼をともなって東海道を下りはじめる。いよいよ駿河国に来た時、時政も意を決して六代を斬ろうとするが、この時黒染の衣を着て月毛の馬を走らせて来る僧があった。それこそ文覚で、手には頼朝の「六代の命を助ける」という御教書みぎょうしょをひらひらさせていた。
今にも殺されそうになるドラマチックな場面から急転して命が助かるまでの物語は、『平家』の中でも、感動的な場面の一つである。のち六代は十六歳まで出家し、高野、熊野と父ゆかりの地を廻る。彼も結局頼朝の潮後、殺されてしまうのだが、十二歳から三十余りになるまで命を保ったのは、ひとえに長谷観音のおかげだ、という所で物語は終わっている。
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