~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/18日
維 盛 の 妻 (七)
ここまで読んで来ると、どうやら『平家物語』の意図は、はっきりするようである。
この物語の作者は、ほろびゆく平家一門の中で、特殊な道を辿った小松殿 ── 重盛から維盛、六代と続く一つの流れを書きたかったのだ。一門が凄惨な戦いに中で殺され、あるいは捕えられて首をねられる中で、少なくとも重盛と維盛はそうした死をまぬがれている。合戦で死んだ者のちゆく先は修羅地獄としか考えられなかった当時のことだ。物語作者が、この小松一門にだけは、全く異質の死後の世界を用意していることは、目をとめてもいいことだ。
では彼ら小松殿の主流は、なぜ死後の浄福を約束されたか?
「それはひよえに信仰のおかげだ」
と作者はそう言いたかったのであろう。重盛については生前から滅罪生善の志深く、東山に四十八間の御堂を建てて、一間ごとに灯籠とうろうをともし、浄土の世界さながらの世界を造ったとか(灯籠の沙汰)、黄金三千両を中国に送って、育王山へ寄進した(金渡)ということが書いてあるし、維盛が八島を脱出して往生を求めたことはすでに書いた通りである。六代は最後には斬られたけれども、これら積年の功徳によって、ともかく、十二歳から三十余りまで命を長らえた ── というのが作者の主張であろう。
そこには、さらに高野信仰、熊野信仰、長谷信仰がしっかり結びついている。盲法師によって語られる平曲が多分それらの寺社に集まる門前で聴衆を集めたであろうこと、また盲法師自体が、信仰の聖地をたどって流浪したであろうことを思えば、その過程で小松殿一族の物語が容易にふくらんでいったことは想像がつく。
だから作者にとっては維盛の戦線離脱、敵前逃亡の責任などということは全く眼中にないのだ。小説家としての推理を許してもらえるならば、私はまだ維盛の入水には疑問があり、八島を抜け出して入水といつわり、どこかで生き永らえたのではないかという気がしている。事実、維盛が船団を率いて八島を出て行ったという話もある。事実とすれば、明らかに戦線離脱で、その後、紀伊の山中で命長らえた、とも言われている。その虚実に、むしろ私は心引かれるのだが、『平家物語』の作者の興味はどうやら別の所にあったらしい。
仏の加護によって命を助かる ── または地獄へちないですむ、といった物語は、『平家』に限らず、『今昔物語』そのほかにたくさん見られるところだが、こうした物語の一つの弱点は、信仰心篤い主人公を美化するあまり、人間のリアリティが失われることだ。そのよい例が重盛だが、維盛の後半にも、そうした不自然さがないわけではない。

ところで、こうした利生物語の中にあって、維盛の妻は完全な脇役である。彼女は夫に先立たれ、しかもその後、子供を育て、その子供を奪われるという最大の不幸に一人で立ち向かわなければならなかったにもかかわらず、物語作者は、彼女を通りいっぺんの同情の眼でしか見ていない。
が、最も不幸なのは、むしろ彼女ではないか。維盛自身は入水して極楽往生の望みを達したかもも知れないが、残された彼女は、現世の苦悩を一人に担って行かなければならなかった。にもかかわらず、物語作者は、彼女の不幸についてはさほど筆を割いていない。それを書いては主題が弱まるからだ。せっかく小松一族の信仰物語を描いているのだから残された者の不幸など書いてはいられないのである。
しかし、皮肉なことに、そのおかげで、彼女は最も自然な形で、この動乱期を生きた人間の姿を代表している、と言えそうである。おそらくさほど賢くもなく、世才もなく、夫と別れては、生きて行くすべも知らない、ごく平凡な女であったろう彼女。悲しければ泣くよりほかはない動乱の世の平均的人間のあわれさが、行間から伝わって来る。
むしろ平凡なこの女性の方に、いっそうのリアリティが感じられるのはおもしろいことだ。