~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/17日
維 盛 の 妻 (五)
維盛が八島を脱出するのは、元暦元年三月十五日のことである。それから以後の話は、巻十(横笛)の始めにある。そのとき従ったのは与三兵衛重景しげかげと、石童丸という少年と、武里という舎人とねりの三人だけだった。舟の漕げる武里の力で阿波国の結城ゆうきの浦(徳島県)から舟出し、鳴門なると浦から紀伊へ、そして和歌浦あたりを通って紀伊のみなとへ着いた。
これから山づたいに都へ ── と思ったが、そこまで来て維盛は迷いはじめる。
── 重衡のように生捕りにされて恥をかくのもくやしいし・・・・。
思い迷った挙句に、出家を志して高野山に入る。そこで「横笛」のところで触れた滝口入道時頼に会って、高野山を巡拝した後、彼の介添で出家を遂げ、さらに熊野に詣でてから、那智の浜の宮(那智勝浦町あたり)から舟を出して入水じゅすいする。これは現在の自殺ではなく、現世への欲望を断ち切って、極楽へ往生するための入水、つまり、この当時よく行われた補陀ふだらく渡海を遂げたのである。
いよいよあの時が来ると維盛はさすがにためらってしまう。
「妻子というものは、持つべきものではないな。念仏をしていても、今ごろはどうしているかと心ににかかってならぬ。私がこうして入水したことだって、どうせ知れるだろうから、その時どんなに嘆くかと思うと・・・・。妻子というものは、この世で物を思わせるばかりでなく、後の世のためにも障りになるものだな」
正直に白状すると、滝口入道はしいて往生の徳を説く。
「いま往生なされば、身は海の底に沈んでも、来世は必ず紫の雲の上に生まれ変わるでしょう。そうなってから妻子を導かれればよろしいのです」
そういわれて維盛は妄執をひるがえし、念仏を百遍ばかりとなえ、「南無」の声と共に入水した。供の与三兵衛や石童丸は維盛が暇をやろうというのも聞かずに出家して従っていたが、これも同じく念仏して主人の後を追った。
ひとり武里だけは滝口入道に入水をとめられ、かねて維盛にいいつけられていたとおり、八島へ帰って事の次第を報告した。すると宗盛や時子も、
「頼朝に心を通わせて、都へ戻ったのかと思ったが、そうではなかったのか・・・・」
と、はじめて嘆きを深くした。後に残った維盛の弟たちが、死に遅れたことを悲しんだのはいうまでもない。
維盛の入水は都にいる彼の妻の耳にも入らないではおかなかった。
はじめは、便りが来なくなったのをいぶかしんでいたのだが、そのうち、
「三位中将は、もう八島にはおられない」
という噂が耳に入ったので、不安になって八島へ使をやると、何ヶ月もして、その使が入水の知らせを持ち帰って来たのである。
── ああ、やっぱり・・・・
物も言えずに妻は倒れ伏してしまった。傍らの若君の乳母の女房が、やっとのことで彼女をなぐさめて言った。
「これが生け捕りになって重衡さまのような境遇におかれなさったのだったら、どんなに心配かわかりませぬ。ともあれ後生を願っての覚悟の往生でいらっしゃるのですから、嘆きの中の御喜びと申すべきでございます」
その言葉にはげまされはしたが、彼女も出家し、維盛の後生を弔った。
維盛のしたことは、ある意味では敵前逃亡である。今の常識からすれば、こんな形の戦線離脱は卑怯ひきょうというよりほかないが、後生を願うといえば、すべてを許されるのがこの時代の感覚だった。もっとも、この話はどこまで本当かわからない。入水したことにして維盛が行方をくらませてしまったということも考えられるが、このことは、ここであれこれ論じるよりも、もっと先へいってから振り返ってみた方がいいように思う。
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