~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/16日
維 盛 の 妻 (四)
さらに斎藤五は人に聞いた所を語った。
「小松殿の御一家は一の谷の合戦の時、三草山にあって、九郎義経に破られ、舟に乗って、資盛、有盛、忠房(いずれも維盛の弟)さまは八島(屋島)へ逃れられたそうな、と申しており者がございました。では維盛様は、とずねましたら、郁さ前から重い病気で、八島においでになり、今度の合戦には出て来られなかった、と申しておりました」
「まあ、それはきっと、私たちの身の上を思っての御病気なのでしょうよ」
と妻は涙ぐんでしまう。
「風が吹けば、舟が沈みはしないかと思い、戦と聞けば、今にも討たれはしないかと心配ばかりしているのです。まして病気になられたら、誰がお世話をすることやら・・・・」
幼い子供たちは事情もわからず、斎藤五に言う。
「何の御病気かって、なぜもっと詳しく聞かなかったの?」
無邪気なのがひとしおあわれである。
が一方の維盛も思いは同じであった。寝ても覚めても妻や子の事が忘れられず、さむらいをひとり、そっと都へ上らせた。
{都の事を聞くにつけ、あなた方の事が思われてなりませぬ。いっそお迎えしてとも思うのですが、やはりあなたのためを思うと心苦しくて・・・・」
さらに一首の歌がそえてあった。
いづくとも しらぬあふせの もしほ草 かきおく跡を かたみとも見よ
(どこでまた逢うとも知られぬ私たち、もしお草のようなこの頼りない私の手紙を、せめて形見として下さい)
幼い子供たちには、
「毎日何をして退屈しのぎをしているのか。早く迎え取りたいと思っているよ」
と二人にあてて同じ文句を書いてあった。
その手紙を見るにつけても妻は涙に沈んでしまう。使がまもなく八島に帰るというので、泣く泣く返事を書く。子供たちにも、
「さあ、お返事を書きなさい」
というと、二人は筆をとって、
「ねえ、何て書いたらいいの」
とあごけなく聞く。
「何でもあなたたちの思う通りを書きなさい」
というと、
などやいままでむかへさえ給はぬぞ。あまりに恋しく思ひまいらせ候。とくとくむかへさせ給へ。
と二人が同じ文句を書いた。八島の維盛はこれを見て、
「もう今は出家する気もなくなった。あまりに愛執の思いが強く、浄土を願う気にもなれない。なんとかもう一度山伝いにでも都へ行って、家族たちに一目逢いたい。逢って自殺するのがいちばんいい」
というふうに思うようになった。
この「首渡」の維盛とその家族の場面は、あまり注目されていないが、戦いによって隔てられた妻子の哀切な姿がどこよりもリアルに描かれているという点で、『平家』の中の傑作だと私は思っている。
首の中に夫がいないかどうか。身をやつして見に行った斎藤五が、
「そんぢやうその頸、その御頸・・・・」
というあたりのすさまじさ。中で二人の幼い子供のしぐさが鮮やかに描かれていて、読む人の心を打つ。特に子供たちが同じ文章を書くというあたり、もちろん作者は子役の効果を十分に考えているのだろうが、それにしても、みごとである。
維盛は後に恩愛の契りにひかされて、八島を脱出するが、それも無理もないことだと思わせるだけの筋書きが、この章でぬかりなく展開されている。
彼はかなり思い悩んだらしい。都へ妻子をおいて来たことで総帥宗盛や時子(清盛の妻)に、誠意を疑われたりしたこともあって、ますます八島にいるのが嫌になったようだ。
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