~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/14
維 盛 の 妻 (三)
維盛は妻をなだめすかす。
「あなたが十三、私が十五の時からの縁だもの。どこまでも離れまいと約束はしたが、こんな有様で都を落ちるのだし、この先どんな戦が待ち受けているかもわからないのだ。いっしょに行って、旅の空で辛い目に合わせるのも心配だし、それに今度は急なことで用意も整わない。どこかの浦で、落ち着いたら、そのあとで迎えをよこすから」
こう言って、決心をつけてその場を立ったが、事情の分からない子供たちは、無心にその後を追う。父のよろいの袖や草摺くさずりにとりついて、
「ねえ、どこへいらっしゃるの。わたしたちも行きたい」
こういう間にも時刻は過ぎて行く。兄弟に催促されて、維盛は遂に家を出る。この時、木曽義仲との合戦で戦死した斎藤実盛の子供たちを、六代のためにかたわららに残してゆく。維盛が去った後も、まだ北の方は泣き続けていた。
「こんな無情な方だとは思ってもみなかったのに・・・・」
残された女は何も出来ない。無力な妻の姿が、あわれである。これは「維盛都落」の章にある物語だが、他の平家の武将の死を覚悟した平静な都落(忠盛都落・経正都落)に比べて、この部分はひどくなまなましい。かくて平家一門は揃って都を後にするのだが、維盛が妻子の顔を見るのもこれが最後になってしまう。
もちろん彼もその後何度か、彼女たちを迎え取ろうと考えたことはあったようだ。都に往来する商人などのつて・・を頼んで、たまには北の方と便りを交わすこともあり、その心細げな様子を聞くにつけても、呼び迎え、一緒に住もうと思ったりするのだが、それではかえって妻に苦労をさせるようなものだと思いかえす。なまじにおいて来たことによって彼自身もあれこれと苦しまなくてはならなかった。
しかもその後まもなく一の谷の合戦が起こった。平家を追落した木曽義仲は、鎌倉勢に滅ぼされたが、その代わり、その鎌倉勢が手ごわい相手として、平家の前に立ちふさがった。周知の通り、一の谷で平家は惨敗し、討ち取られた人々の首は、源氏の要請によって都大路を渡される。つまりみせしめとして都の人々の目にさらされ、獄門にかけられたのだ。

争乱の最中、嵯峨さがの大覚寺にひそんでいた維盛の妻は、そのうわさを聞くにつけても、居て見たってもいられなくなった。
「平家一門は今度の戦いで残り少なになるくらい討たれ、三位中将といわれる人が一人生捕りにされた」
と聞いて、
「もう、あの方にまちがいない」
衣をひきかずいて寝込んでしまった。すると侍女がなぐさめ顔に言った。
「三位中将というのは、こちらの殿様のことではなくて本三位中将(重衡)のことらしゅうございます」
そう言われれば言われたで、では、首の中にいるのではないか、とますます不安になってくる。
巻十の「首渡くびわたし」の章のこのあたりは、後に残された妻の不安な心理をみごとに描ききっている。世を忍ぶ身の上だから、はっきり確かめる事も出来ないし、平凡な人妻である彼女には、その勇気もないのであろう。が、夫はほんとうに無事なのか、死んでしまったのか、この中途半端な気持ちは、死を知らせられるよりもかえってみじめである。
そのうち、夫が置いて行ってくれた実盛の息子たち、斎藤五、斎藤六が姿をやつして様子を探りに行った。さらされた首の中には、かなり見知った顔があったが、維盛のはなかった。しかし誰彼のむざんな姿を見るにつけても先立つものは涙である。あまり悲しんで怪しまれてもと、二人は急いで大覚寺に戻って来る。
「あさ、どうだったの?」
維盛の妻の言葉に、二人はともかく答える。
「小松殿(重盛一族)のお身内では末弟の師盛もろもりさまのお首以外は見あたりませんでした」
ほっとしたものの、彼女は心から喜ぶだけの力もない。
其外そのほかはそんぢやうそのくび、その御頸
(そのほかは、あの首、この首・・・・)
というのを聞くにつけても、
「人ごととも思われませぬ」
と涙にむせんでしまうのだった。
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