~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/13
維 盛 の 妻 (二)
さて源氏追討の軍勢が都を立ったのは、治承四年九月、十月十六日には駿河の清見関に着いた。この時維盛は、ひと息に足柄を越えて源氏の本拠を踏みつぶそうと言ったが、侍大将の上総守かずさのかみ忠清が反対してこれは沙汰やみになった。
このとき平家方は七万騎、しかし源氏は二十万騎ぐらいはある、と聞いて、少しずつ平家の陣営では動揺がはじまる(もちろんこの数は両者とも誇張があろうが)
維盛はまず東国をよく知っている長井の斎藤別当実盛を召し出して、東国武者の様子を聞く。長井というのは現在の埼玉県大里郡のあたりである。
「実盛よ、お前ほどの強い弓をひく者は、坂東八カ国にはどのくらいいるのか」
と、実盛は笑って言った。
「この私を強弓をひくとお思いでございますか。私ぐらいの射手は八カ国にはいくらもございます。私などはわずかに十三ぞくですが、むこうで大矢おおや(強弓)といわれるものは、十五束以上の者のこと。こうした者がれば、鎧の二、三領は、ずぶりと通ってしまいます」
さらに彼は東国武者がどんなものかを説明する。ここは有名な言葉である。
大名一人とまうすは、せいのすくないぢやう、五百騎におとるは候はず。馬にの(ツ)つればおつる道を知らず、悪所をはすれども馬をたをさず。いくさは又おやもうたれよ、子もうたれよ、死ぬればのりこへのりこへたゝかふ候。西国のいくさと申は、おやうたれぬれば孝養し、いみあけてよせ、子うたれぬれば、そのおもひなげきによせ候はず。兵粮米ひやうらうまいつきぬれば、田つくり、かりおさめてよせ、夏あつしといひ、冬はさむしときらひ候。東国にはすべてその候はず。
(大名と言えば、小勢であっても五百騎以下のものはおりません。馬に乗れば、落ちることを知らず、悪い道を走らせても馬をころばすようなことはありませぬ。また戦となれば、親も討たれよ、子も討たれよとばかり勇敢に戦い、たとえ身内が死んでも、その屍を乗り越え乗り越え戦います。西国では、親が討たれれば供養し、忌があけてから戦い、子供が討たれれば、嘆き悲しんで戦いをやめてしまいます。兵糧が尽きれば田を作り刈り取ってから戦い、夏は暑い、冬は寒いといって戦うのを嫌がりますが、東国では一切そういうことはございません)
この話を聞いて平家のさむらいはちぢみ上がったという。実盛の言葉は簡潔に東国武者の勇猛さを伝えている。そのことがあったためか、いざ合戦となると、平家は水鳥の羽音に驚いて、
── さては敵襲か。
と取るものも取りあえず逃げ出した。
維盛は戦わずして敗軍の将になってしまったのである。祖父の清盛には、かなりひどく怒られたらしいが、それでもまもなく少将から中将へと昇進した。
「手柄もないのに、何の恩賞か」
と人々はささやきあったというが、まだこの時点では彼自身、その敗戦がいかに重大な意味を持つか、自覚していなかったようだ。
それから間もなく、小曾義仲が挙兵する。彼が東山、北陸両道の兵を従えて上洛じょうらくすると聞いて、平家は義仲追討のために出兵する。この時も、維盛は大将軍だったが、有名な倶利伽羅くりからとうげの合戦に大敗して都へ逃げ帰る。もうこうなっては義仲の勢いを食い止める者は一人もいない。平家一門はそろって都を捨て、安徳天皇とその母建礼門院を奉じて西国へ逃れるよりほかなくなってしまった。

この時一門の多くは妻子を連れて行ったが、維盛は妻を都へ置いて行こうとした。この維盛の妻は、先に清盛に憎まれて捉えられ、遂には斬られてしまった大納言成親の娘である。重盛と維盛が親子そろって清盛の所へ成親を助けてくれと言いに来たのも、実はそのためだったのだ。
維盛と彼女の間には十歳になる六代という男の子と、八歳になる女の子がいた。維盛は、都育ちの妻やいたいけない子供たちに、流浪の旅をさせるのがしのびなかったのだろう。
「日ごろから言っていたように、自分は一門と一緒に西国へ行く。そなた達の事もどこまでも連れて行きたいが、前途にも敵が待っている状態だから無事に行けるかどうかもわからないから、そなた達の事は都においてゆく。もし自分が討たれたと聞いても、そなたは決して出家などなされぬように、どんな人とでも再婚して身に立つようにし、幼い者たちを育ててくれ。世の中には、きっとあなた方に同情をしてくれる人もあるだろうからな」
これも一つの愛情の示し方である。この先に希望が持てないだけに、妻や子供を悲運に突き落とすのに耐えられなかったのであろう。
が、北の方にしてみれば、これほどつらいことはなかった。彼女は涙ながらに訴える。
都には父もなし、母もなし。すてられまいらせて後、又誰にかはみゆべきに、いかならん人にも見えよな(ン)ど承はるこそうらめしけれ。前世の契ありければ、人こそ憐給ふ共、又人ごとにしもや情をかくべき。いづくまでもとともなひ奉り、同じ野原の露ともきえ、ひとつ底のみくづともならんとこそ契しに、さればs夜のめざめのむつごとは、みないつわりになりにけり。せめては身ひとつならばいかがせん、すてられ奉る身のうさをおもひし(ツ)てもとどまりなん、おさなき者共をば、誰にみゆづり、いかにせよとかおぼしめす。うらめしうもとどめ給ふ物かな
(都にはもう父も母もおりません。あなた様に捨てられたら、誰に面倒をみてもらうあてもありませんのに、どんな人でもよいから再婚せよとは、うらめしゅうございます。前世の因縁があったからこそ、あなた様と一緒になり、こうしてかわいがっていただけたのですが、他の誰でもが同じように愛情をかけてくれるなどというようなことがあるはずがありません。どこまでも一緒に連れて行っていただいて、同じ野原で死に、一つ水底に沈もうと約束していましたのに、では夜の床の中でのむつごとはうそだったのですね。まだ私だけなら、捨てられた悲しみをかみしめながらここにいてもよろしゅうございますが、この幼い者たちをどうしろとおっしゃるのですか。行くな、とどまれと仰せられるのがうらめしゅうございます)
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