~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/13
維 盛 の 妻 (一)
数多い平家の人々の中で、最も平凡な人妻として描かれているのは維盛これもりの妻だ。彼女は平家一門と共に都落ちせもず、その意味では自分自身海戦に巻き込まれるという危険も経験していない。ひっそりと都の残って夫の安否を気づかっているだけの、無力で、何も出来ない人妻だった。
が、そのあわれさの中に、私は自身が目にした第二次大戦中の人妻たち ── 夫を戦争に奪われた人々の姿を見る思いがする。戦争という異様な事態が、いかに多くの平凡な人生を送る人々を傷つけずにはおかなかったか。『平家物語』は彼女をさりげない形でしか描いていないが、それだけに、読みようによっては、祇王や小督よりも、人物にリアリティが感じられる。
だいたい、維盛という人間が、『平家物語』の中では、きわめて特殊な地位をもっている。
その理由を考えながら、その人物像をもからめて、彼女の生き方をさぐってみたい。
維盛は重盛の嫡男だ。ところで『平家』を読んだことのある人ならお気づきのはずだが、この重盛という人物は、『平家』の中で極端に美化されて描かれている。たとえば父の清盛が、鹿ししヶ谷で行われた反平家の謀議を知って、その主謀者のひとり大納言成親を、西八条の館に監禁すると、子供の維盛を連れてやって来て、父の軽挙ををいましめる。その言葉がいかにも道理にかなっていたので、清盛も成親を殺すことを一時あきらめる(後には成親はやはり殺されてしまうのだが)
さらにこの後、清盛はこの策謀に後白河法皇が加担していたことを憤り、法住寺の法皇御所に押し寄せるために兵を集める。が、この時も重盛がやって来て、涙を流して諫める。この「教訓状」の章は、戦前の教科書には、忠孝の手本として、必ず登場していたものである。この時彼は言う。
このおほせうけたまはりさうらふに、御運ははや末になりぬと覚候。人の運命のかたぶかんとては、かならず悪事を思ひたちさうらふ なり。又御ありさま、更にうつゝとも覚え候はず。
(父上の仰せを承りますと、御運はもう末になったという気がいたします。人の運が下り坂になってくると、必ず悪事を思い立つものです。その御様子、さらに正気の沙汰とは思われませぬ)
これほどまで平家一門が出世し、高い位をもらい、国のなかばを所領とするのも、ひとえに朝廷の御恩によるもの、それを今、法皇を押し込め参らせることは神意にもそむくことだ。また仏の道にも叶うまい、と諫めたので、遂に道理に押されて、清盛もついに思いとどまった。
しかも、まもなく彼は平家の前途を予感し、また彼自身の余命もいくばくも無い事を知って、形見の太刀たちを維盛に渡して死んでゆく。どこから見ても非の打ち所のない人間として重盛は描かれているのである。『平家物語』の重盛びいきはここだけではない。巻一の「殿下でんかの乗合のりあい」でも、重盛の子の資盛すけもりが、路上で摂政藤原基房の一行と出合い、下馬の礼をとらなかったことから、馬から引きおろされ、恥辱を受けた時、清盛が怒ってこれに報復し、重盛は逆にさむらい達をたしなめた。ということになっているが、歴史を調べてみると、この時侍たちに報復を命じたのは、じつは重盛その人であったらしい。『平家』は事実を曲げてまでも重盛を美化しようとしているのである。
ところで維盛はこの重盛から、
御辺ごへんは人の子供の中にはすぐれてみえ給ふなり
と言われた人物である。重盛の死後、一門の例に洩れず、滅亡の苦悩を身をもって体験するが、『平家』の作者は、かねて尊敬していた重盛の子供だからというのか、彼には最後に特殊な運命を与えている。
もっとも、それまでは、維盛も戦乱の中でかなり長い間、苦労を続けなければならなかった。彼が『平家』の舞台で存在をはっきりさせるのは、巻五「富士川」からである。
頼朝が挙兵し東国の兵団を率いて西上するという情報が入った時、彼は大将軍として、源氏討伐に出発するのだ。
大将軍権亮ごんのすけ少将維盛これもりは、生年廿三、容儀躰拝絵にかくとも筆も及がたし。重代のよろひ唐皮からかはといふきせながをば、唐櫃からびつに入れてかゝせらる。みち打には、赤地の錦の直垂ひたたれに、萌黄威もえぎにほひのよろひきて、連銭葦毛あしげなる馬に、黄覆輪きぷくりんくらおいてのり給へり。
華々しい出陣の姿である。躰拝というのは、「帯佩」のなまったもので、太刀を帯びた姿かたちということ。きせなが(着背長)は貴人の着用する鎧だが、これは唐櫃に入れ、道中は赤地錦の直垂に萌黄におい(上が濃く下が薄い色になっている)の鎧を着て、連銭葦毛の馬に乗っていた。いかにも総大将らしい華やかないでたちである。
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