~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/09
小 宰 相 (三)
この北の方が一の谷の合戦の始まる前に、通盛と別れを惜しんだ話は、少し前の「老馬」の章に出て来る。
彼が弟の教経の陣屋に北の方をまねいてひそかにしのび会っていると教経が憤慨して、
「今はそんな時期ではない。今にも源氏が押し寄せて来るかも知れないのに」
と文句を言ったというのである。この教経は、平氏一門の中で一番の荒武者で、壇の浦に合戦まで、平家部隊を率いて奮戦しているが、この勇猛な教経から見れば、通盛の女々しい態度が歯がゆくてならなかったのであろう。
じじつ、合戦は教経の言った通りの展開を見せた。通盛の守っていた山手というのが、例の鵯越ひよどりごえの下で、ここに源義経が奇襲をかけた事から、平家一門はくずれたのだから。
が、外目には女々しく見えた通盛と小宰相の間にも、実はこのときあわただしい戦乱の中で、一目会って話しておきたいことが残っていたのだ。それを、彼の死んだ今、やっと北の方は乳母に明かすのである。
ただならずなりたり事をも、日ごろはかくしていはざりしかども、心づよふおもはれじとて、いひだしたりしかば、なのめならずうれしげにて、「通盛すでに三十になるまで、子といふもののなかりつるに、あはれなんし(男子)にてあれかし。うきよのわすれがたみにもおもひおくばかり。さていく月ほどになるやらん。心ちはいかがあるやらん。いつとなき波の上、舟のうちのすまひなれば、しづかに身々とならん時もいかがはせん」な(ン)どいひしは、はかなかりけるかねごとかな。まことやらん、おんなはさやうの時、とをにここのはかならずしぬるなれば、はぢがましきを見て、むなしうならんも心うし。しづかにみみとなってのち、おさなきものをもそだてて、なき人のかたみにもみばやとはおもへども、おさなきものをみんたびごとには、むかしの人のみこひしくて、おもひの数はつもるとも、なぐさむ事はよもあらじ。ついにはのがるまじき道也みちなり。もしふしぎにこのよをしのびすぐすとも、心にまかせぬ世のならひは、おもはぬほかのふしぎもあるぞとよ。それもおもへば心うし。まどろめば夢にみえ、さむればおもかげにたつぞかし。いきてゐてとにかくに人をこひしとおもはんより、ただ水の底へいらばやとおもひさだめてあるぞとよ。
この文によってわかる通り、北のかは、通盛の子を身ごもっていたのである。
(ふつうのからだでないことを、それまではかくしていたのですけれど、あまり強情な奴だと思われても、と思ってそれを打ち明けると、通盛どのは大変喜ばれました。
「この通盛は三十のなるまで子を持たなかったが、そうか、子供が生まれるのか。男の子だといいなあ、それこそ自分の忘れ形見だ。何カ月になるのか。気分はどうかね。いつまで続くかわからないこの海上の船中生活ではなあ。無事にお産するには、どういうふうにしてあげたらいいのかなあ」
などと言ってくれたのも、今となっては、はかない約束事になってしまいました。
女はお産の時十のうち九までは死んでしまうと聞いているけれども、ほんとうかしら。この戦のさなか、恥ずかしい目にあって死ぬのもいやだし、また、無事にお産をしたとしても、子供を見るたびに、夫の事を思い出して慰められるどころか悲しくなってしまうでしょう。どうせ人間は死ぬもの、もし、うまく世を逃れて生きることが出来ても、人間は心にまかせぬもの、思いがけない事だっておきるかも知れない。そう思うと、ますます心が重くなってしまうのです。夢にもあの人が現れるし、起きていても、その面影が目に浮かぶばかり。生きていて、あれこれ恋しがっているより水底に身を投げようと決心しました)
明日をも知れない戦いの前夜、新しい生命の誕生を予告された人間の悲しみと喜びの入り混じった心理を、『平家』は簡潔に描いている。原文の「心づよふおもはれじ」といった場合の「心づよふ」は決してほめた言い方ではない、強情とか非情といった感じで、そうした心強さは、当時の感覚では歓迎されなかったのである。また「心にまかせぬ世のならひは、おもはぬほかのふしぎにもあるぞとよ」というのは、具体的には、生き残っていて、心ならずも再婚しなければならなくなったりするこよを暗示している。
生と死のぎりぎりに立った夫婦の語らいがここにはある。日本の文学では、夫と妻の愛情よりも、夫と他の恋人の愛の物語が大きな位置をしめるけれども、ここは珍しく素直に、夫と妻の愛のかたちが描かれている。
これを聞いた乳母は驚き悲しみ、さまざまに小宰相をなだめすかす。
「私だって子供や親をおいて、あなた様にお供して来ているのです。それに一の谷で討たれたのは、通盛だけではございません。ほかにもたくさんいらっしゃいます。みなさま、悲しみをこらえていらっしゃるのですよ。せすからあなた様も、心静かにお産をあそばし、お子様を育てられてから出家して通盛さまの菩提をおとむらい遊ばしませ。今、後を追って身を投げられてもあの世で必ず通盛さまに会うとはかぎりませぬ。それに都に残っておられる御家族方のお世話を誰がなさるのです」
そのころ、死後はそれぞれの人の生前の行いによって、生まれ変わる所が違ってくる、と考えられていたから、死んでも必ず愛する人と回り逢えるとは限らないと言ったのだ。
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