~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/09
小 宰 相 (二)
この時、かたわらにいた侍は君太くんだの滝口時員たきぐちときかずという男だった。彼は海に逃れ、通盛の北の方の乗っている船をさがし廻って、これにめぐりあう。
「じつは私も殿のお供を申し上げようと思ったのですが、殿は前からこういうことを言っておられたのです」
そのわけはこうだった。
なんぢはいのちをすつべからず。いかにもしてながらへて、御ゆくゑをもたづねまいらせよ。
(お前は命を捨ててはいけない。どんなにでもして生きのび、北の方のゆくえをおたずねして、それにお仕えせよ)
と通盛が言ったのである。
北の方はもうそれを聞くだけで返事も出来ずに、夜具をかぶって倒れ伏してしまった。
いや、それまでも、通盛戦死の報は伝わらないではなかった。が、それでも、
── もしかしたら間違いかも知れない。生きて帰っていらっしゃるかも・・・・。
二、三日の間は、ちょっと外出した人の帰りを待つような ── そんな気持ちで待っていたが、四日、五日と日を経るにしたがって、段々絶望的になりつつあった。
そこへこの時員の報告がもたらされたのである。
── ああ、やっぱり・・・・。
突放されたような気持で、北の方は遂に起き上がれなくなってしまった。それから数日後、明日はいよいよ屋島の根拠地に着こうという時に、北の方は、起き上がって、何事かを決心したように、付添いの乳母めのとに語りはじめた。
このほどは、三位うたれぬときゝつれども、まことともおもはでありつるが、このくてほどより、さもあるらんとおもひさだめてあるぞとよ。人ごとにまいなと河とかやのしもにてうたれしとはいへども、そののちいきてあひたりといふものは一人もなし。あすいちいでんとての夜、あからさまなるところにてゆきあひたりしかば、いつもより心ぼそげにうちなげきて、「明日みやうにちのいくさには、一ぢやううたれなんずとおぼゆるはとよ。我いかにもなりなんのち、人はいかが給ふべき」なんどいひしかども、いくさはいつもの事なれば、一ぢやうさるべしとおもはざりける事のくやしさよ。それをかぎりとだにおもはましかば、まどのちの世とちらざりけんと、思ふさへこそかなしけれ。
(今までは、三位殿が討死したと聞いても、本当とは思われなかったけれど、今日のこの暮れ方から、それは違いない、という気がして来ましたわ。
人々がみな湊河とかの下で討たれたといい、その後生きているあの方にったという者は一人もいないのですもの。
じつはいよいよ明日が合戦という前夜、ちょっとあの方にお目にかかった時、ひごろよりもいっそう心細そうに、
「明日の戦はきっと討たれそうな気がするなあ。自分がどうにかなってしまったら、あなたはどうするのかなあ」
などとおっしゃったのです。でもいくさは世のならい、あの方が必ず討たれるとは思いませんでした。ほんとうにくやしいこと・・・・もしそれが一期の別れだと思ったら、来世の約束もしたはずなのに、それもしなかったことが悲しくてならないのです)
打明け話をしている相手の乳母というのは、北の方 ── 小宰相の幼い時からかしずいている女性である。このころの乳母は乳を与える女性とはかぎらず、子供の面倒の一切を見る女性を意味した。ふつう、貴族の家では子供が生まれると、乳母を決め、この女性およびその夫や子供に一切の養育をまかせる。だから子供にとっては、実の父母よりも乳母やその家族の方が親しいくらいで、何か事がある時は、この乳母の一家を頼りにする。鎌倉時代に書かれた『とはずがたり』という物語などを見ると、乳母のことを「おん母」「乳母の夫を「おん父」と呼んでいるのがわかる。こんな関係だから、小宰相が都落ちする時は、乳母がついて来るのである。
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