~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
妃 た ち
 
2018/07/02
祇 園 女 御 (五)
が、そのまま引込むのは、どうも腹の虫がおさまらない。そこで、彼らは、公家らしい、たちの悪いいたずらを考え出した。そのころ、豊明の節会の後では、それぞれ殿上人が踊ったり舞を舞ったりする。忠盛が舞に立つと人々は急に拍子を変えて、
伊勢平氏はすがめなりけり。
と歌いはやした。忠盛の先祖が伊勢に長く住んでいたことと、伊勢の産物であるかめを入れるのに使われたこと、忠盛自身がやぶにらみだったのをかけてからかったのである。
すがめについて、素焼きの瓶という説もあるが、このころは素焼の瓶はざらだから、とりわけ伊勢の瓶をからかっていうことでもない。むしろ酒瓶ではなくて、酢を入れたりする、大衆的な食器だ、というふうにとった方がいいのではないかと思う。
これには忠盛も帰す言葉がなくて、まだその日の歌舞は終わっていなかったが、そっとその場を立った。が、そのとき、帯びていた太刀を、主殿司とのもづかさ(宮廷の輿や調度品の管理や掃除や灯火のことを担当する役所)の者に、あずけて帰った。
家貞は忠盛の姿をみつけるや、走り寄って、
「いかがでございましたか」
とたずねた。人々に歌いはやされた無念さを語ろうかと思ったが、言ったらどうするかわからない、忠実な家貞は、主君が辱しめを受けることに耐えられず、すぐさま殿上の間まで斬り込んでゆくかも知れなかったから、忠盛はわざと、
「別に何もなかった」
と言って退出した。
さて、その後、殿上人たちが口をそろえて上皇に訴え出た。
夫雄剣それゆうけんを帯して公宴に列し、兵仗ひやうじやうたまはりて宮中を出入しゆつにうするは、みな格式の礼をまもる。綸命りんめいよしある先規せんぎなり。しかるを忠盛朝臣、或は相伝の郎従と号して、布衣ほういつはものを殿上の小庭にめしおき、或はこしの刀を横へさいて、節会の座につらなる。両条希代きたいいまだきかざる狼藉らうぜきなり。事既に重畳てうでうせり、罪科もつとものがれがたし。早く御札をけづ(ツ)て、闕官けつくわん停任ちやうにんぜらるべき」由、をのをの訴え申されければ・・・・。
(宮中で帯剣して宴席に列したり、護衛兵を連れて出入りするというのは、皆格式がきまってえいて、それによってやるもので、これは勅命があってはじめて可能なこと。なのに忠盛朝臣は代々の郎從と称する家来を小庭に連れ込み、また節会の座に刀をさして連なった。両方とも前代未聞のことである。この罪は逃れがたい。早く殿上の間にある名札を取り除いて昇殿をやめさせ、役職も免職させるべきだ)
鳥羽上皇も驚いて忠盛に事の真否をたずねたのだが、このとき忠盛はまことに落着き払ったものだった。
まづ郎従小庭に祗候しこうの由、全く覚悟つかまつらず。ただし近日人々あひたくまるる子細しさいあるの間、年来としごろ家人けにん事をつたへきくによ(ツ)て、その恥をたすけむがために、忠盛にしられずしてひそかに参候の条、力及ばざる次第也。若猶其咎もしなおそのとがあるべくは、彼身かのみをめし進ずべき。次に刀の事、主殿司とのもづかさにあづけおきをは(ン)ぬ。これをめし出され、刀の実否じつぶについてとが左右さうあるべきか。
(家来が殿上の小庭に参入したのは、私の全然知らないことです。多分最近人々が何か企んでおられると聞いて、長年の家来ゆえ、主人の恥を救おうとしてやってきたものと思われます。何も知らない以上私が止めることも出来なかったわけですから、もしぞれでもいけないと言われるのでしたら、かの者を呼んで差し出しましょうか。またたちの事は、念のため主殿司に預けておきましたから、それをまずごらん頂きたい)
そこで太刀を取り寄せてみると、なんと木刀に銀箔をはりつけたものであった。
鳥羽上皇は大変感心し、
「弓取る身はこのくら周到であってほしいものだ。また家来がやって来たのは武士の郎等ろうどう(家来)として当然のことをやったまでのこと、忠盛のとがではない」
と言った。忠盛は叱責をううけるどころか、かえって感心されて、もうそれ以上、罰を受けるような話は立消えになってしまった。
いかにも忠盛らしい用心深いエピソードであるし、ここに新しい武士の主従関係が登場していることにも注意しておきたい。主人の身の大事となれば、命じられないでもやって来て、それを守ろうとする ── こうした関係は公家の社会にはないことだった。しかも彼らは、武力を持っている。その威力に公家たちは手もなくすくみ上がったのである。
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