~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
妃 た ち
 
2018/06/30
祇 園 女 御 (二)
此中このうちにはなんぢぞあるらん。あの物ゐ(射)もとどめ、きりもとどめなんや。
(此の中ではお前だ ── お前だけが役に立つ ── あいつを射るなり斬るなりできるだろうが)
法皇はそう言った。命を受けた忠盛は、その怪物に近づきながら思った。
── こいつ、それほど強い恐ろしいものじゃなさそうだ。おおかたきつねたぬきか。こんなものを射殺したり斬殺してもしかたがない。生捕りにしよう。
と思った。このあたりが忠盛の沈着なところである。法皇の命令だからと言って、やみくもにとびかからないで、落ち着いて相手を確かめようとしている。
忠盛はなおも近づく。変化へんげのものは、時折さっと怪しげな光を放つ。それをめがけて忠盛は、つと走り寄って、むずと組みついた。
と、相手は抵抗する力もなく、
「わっ」
これはどうしたことか、と大声をあげる。なんのことはない、ただの人間だったのである。このあたりの原文の呼吸はまことにみごとである。
とばかりあ(ッ)とひかり、とばかりあ(ッ)とひかり、二、三度しけるを、忠盛はしりよ(ッ)て、むずとくむ。くまれて、「こはいかに」とさはぐ。変化の物にてはなかりけり。はや人にてぞありける
一々現代語訳するまでもなく、じつに簡潔で名調子である。「はや人にてぞ有ける」の「はや」は「もともと」という意味だが、何となく、「まあなんと」というような感じもあって、おもしろい。
人々が灯をつけて見ると、怪物と見えたのは六十がらみの老法師で、御堂に燈明をあげようとしてやって来たのだった。片手には油を入れたかめ、片手には素焼きの容器に火を入れていたが、ざんざんぶりなので、麦わらを頭からかさのようにすっぽりかぶっていた。そのわらが火をともそうとするたびに光って、銀の針のように見えたまでのことだったのだ。
「罪もないこの法師を殺したりしたら、あとでどんなに悔やんだかわからぬ。忠盛のふるまいはまことに思慮深かった」
と白河法皇からおほめの言葉があった。
この時、白河法皇はさらに、
弓矢とる身はやさしかりけり
と言ったという。このやさしさは『平家』独特の使い方で、感心だとかけなげであるという意味であるが、言葉の感触からいえば、よく気がまわってそつがない、という感じも含まれているような気がする。
忠盛の沈着さを示す逸話はほかにもある。
『平家物語』第一巻の有名な「祇園精舎」に続く、物語の発端ともいうべき「殿上てんじょう闇討やみうち」に語られているのがそれだ。
彼が備前守だったころのことである。鳥羽とば上皇の勅願によって得長寿院とくちょうじゅいんを造った時に、忠盛は三十三間の御堂を建て、そこに一千一躰の御仏を安置した。
と書けば、すぐ京都にある三十三間堂を思い出されるかも知れないが、この得長寿院というのは今の左京区聖護院あたりにあった寺で、現在の三十三間堂とは別ものらしい。が、三十三間堂とか千躰仏というようなものがどんなものかは現存のそれによってほぼ想像は出来るかも知れない。この御堂の供養は天承元年に行われた、とあるが実際は翌年の長承元年が正しい。
忠盛はこの恩賞として但馬守たじまのかみに任じられ、さらに「うちの昇殿」を許された。内の昇殿というのは、天皇の常の居間である清涼殿の殿上てんじょうの間に出入りすることである。
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