~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
妃 た ち
 
2018/06/30
祇 園 女 御 (一)
祇園ぎおんの女御にょうごは『平家物語』の中の謎の人物の一人である。ほんの脇役ながら、物語の主役の一人、平清盛の生母だとされ、しかもその出生の秘密を握る人、と見られている。
彼女はもともと、白河法皇の愛人だった。都の東山のふもとの祇園のほとりに住んでいたために祇園女御といわれたという。が、実際を言うと、「女御」というのは、大変な称号である。天皇のおきさきの中でも上位に属し、ちゃんとした宣旨せんじ ── おおやけの命令がなくては名乗ることは許されない。
先にも述べたように、昔は天皇のおきさきは何人もいた。一番上位の正夫人が、中宮、または皇后。その次が女御、それから更衣こういという順になる。女御のなれるのは皇族出身の女性か、または高位の貴族の娘である。
多分祇園女御と呼ばれるこの女性は、本当の女御ではなく、白河法皇から特別に愛されたので、こんなふうに呼ばれたのであろう。白河法皇という人は、平安朝末期に最初に院政をはじめた人で、権力もあるかわり、私生活はかなり乱脈だった。そのまわりに出没する女性も多く、中には素性のはっきりしないのもずいぶんまじっていたらしい。そのために、法皇の落胤らくいんと名乗る者があちこちに現れたという話が残っていることによってもその間の事情は知られるというものである。祇園女御はその中で最も寵愛を得た一人だったと考えていい。
彼女の身許については、もう一度後で触れるとして、『平家物語』に戻ろう。「祇園女御」の章によれば、彼女はこんなふうに白河法皇の寵愛を受けていたが、のちに平忠盛の妻になったという。今から考えると妙な話だが、貴人のお手つきの女性を臣下がもらい受けることはよくあった。しかも忠盛は白河法皇から恩賞として彼女を賜ったのである。
では、それは何の恩賞だったのか。
そもころ、白河法皇は、しきりに祇園女御の所に通っていた。もちろん「おしのび」の夜歩きだったからお供は少ない。殿上人でんじょうびと(公家)が一人か二人と、法皇の警固の役に当たる「北面の武士」を数人連れて行くだけだった。
ところがある夜、このしのび歩きの途中で、法皇の一行は、奇怪なものに出会ってしまった。
ころはさ(五)つき廿日あまりのまだよひの事なれば、目ざすともしらぬうあみではあり、五月雨さみだれさへかきくらし、まことにいぶせかりけるに、くだんの女房の宿所ちかく御堂あり、御堂のかたはらにひかり物いできたり。
(五月の廿日すぎの闇夜、おまけに雨が降り、まことに陰鬱いんうつな夜だった。と、女御のすみかの近くの御堂の脇に、あやしげな光る物が立っていた)
人々はその場に立ちすくんだ。見れば頭は銀の針をみがいたようなきらめき、両手をさしあげ、一方にはつちのようなものを持ち、片手には何か光る物を持っている。
「鬼じゃあないのか・・・・」
もしこんな所で襲われでもしたら・・・・しのびの夜歩きだけに、体裁の悪いことになってしまう。とっさに、法皇は供の北面の武士の一人を呼びつけた。それが忠盛だったのである。
Next