~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/28
横 笛 (一)
奈良の法華寺は木彫の十一面観音で有名な寺である。ところで、この仏像の安置された本堂の片隅に、紙で作った女人像があるのをご存じだろうか。これが、ここに御紹介しようとする横笛の像といわれているものなのだが、これがなぜ奈良の法華寺にあるかについて語る前に、彼女の生い立ちを見てみよう。

彼女は建礼門院(高倉天皇の中宮、清盛の娘)に仕える雑仕女ぞうしめだった。色々の雑用をつとめる下級の女官である。女官といえば何やらしかつめらしく聞えるが、ごく下働きの女性だと思っていただいていい。源義経の母の常盤ときわも九条院という宮家に仕える雑仕女だったし、あまり家柄のよくない家の娘がその仕事にあたったらしい。
この横笛の前に一人の男性が現れた。斎藤時頼という若者で、もとは建礼門院の兄にあたる平重盛に仕えていたが、十三歳の時から、宮中の滝口たきぐちになった。滝口というのは、宮中警固の武士の呼び名、天皇の常の住居である清涼殿せいりょうでん(古い読み方ではせいろうでん・・・・・・)御溝水みかわみず(軒下の溝を流れる水)の落ちる所を滝口たきぐちということから、ここに控える武士を滝口と呼ぶようになった。
重盛に仕え、つづいて建礼門院や高倉帝のいる清涼殿警固の役に当たったことから、彼は横笛の姿を見染めるようになったのだろう。『平家物語』には二人の恋の経過は書いていないが、若い滝口と若い雑仕女は宮廷を背景に、小さな恋をはぐくんでいったに違いない。
ところが二人の恋の前に、大きな障害が現れた。滝口時頼の父が反対したのである。
世にらんもののむこ子になして、出仕なんどをも心やすうせさせんとすれば、世になき物を思ひそめて。
と言ったと『平家物語』は伝えている。
世にあるものと世になきものという対照的な使い方をしているが、これはもちろん在世のものと死者という意味ではない。世の中に立ってひとかどの生活をしている者、さらに言えば、時めいている者と、時運にも乗れずつまらない暮らしをしている者と、という意味である。
時頼の父は、彼を時めいている勢力者の娘の婿むこにして、官吏として相応の出世もさせてやろうと思っていたのだが、息子が横笛のように、家柄もない家の娘を好きになってしまったので、いさめたのである。
では、滝口時頼はどうしたか。この時十九歳、今ならまだティーン・エイジャーの彼は言ったのだ。
「昔は西王母せいおうばとか東方朔とうぼうさくとかいう仙人や長寿の人がいたというが、今の世ではそんなことは聞いたことがない。人間などはいつ死ぬかわからない。長生きしたところで七、八十、そのうち若盛りはわずか二十年くらいのもの。この夢幻の世を、みにくい女といっしょに過ごしたとて何がよかろう」
なるほど、ここまではいかにも若者らしい考え方である。現代のティーンとそっくりだといっていい。が、違うのはそれから先である。続けて彼は言う。
「かといって、自分の気に入った女性と結婚しようとすれば、父の命令に背く。が、考えてみれば、これこそ、悟りを開く機縁である。これを機に浮世をいとい、まことの道に入るのが一番いい」
さっさと思い切って出家してしまい、嵯峨さが往生院おうじょういんで修行に打ち込んだ。
十代の少年が? むしろ奇異な思いさえするが、これは全くの作り話でもなかったようだ。というのは、当時の公家の日記に、「滝口の時頼というものが出家した」という記録があるからだ。仏道の悟りとか出家というものが、今日とは全く違った受取り方をされていた時代だということを考える一つの手がかりといってもいいような事件である。以来、彼は滝口入道と呼ばれるようになる
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