~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/24
千 手 前 (二)
重衡は関東へ下ると決まった時、罪の思いに責められ出家することを願ったが、頼朝に会うまでは、と止められ、そこで、心の師と仰いでいる法然ほうねんに合わせて欲しいと申し出て、やっと許される。この法然はすなわち浄土宗の開祖であり、比叡山の黒谷くろだにに住み、乱世に魂を救うひじりとして、人々の信頼を集めていた僧侶だった。
重衡は、法然の前で、南都を焼いたことをはじめ、戦いで人を殺した罪の深さにおおそれおののいていることを告白する。
けふあすともしらぬ身のゆくゑにて候へば、いかなるぎやうじゆして、一業いちごうたすかるべしともおぼえぬこそくちをしう候へ。つらつら一生の化行けぎやうをおもふに、罪業ざいごう須弥しゆみよりもたかく、善行は微塵みじんばかりもたくはへなし。かくてむなしく命おはりなば、火穴湯くわけつたう苦果くくわ、あへて疑なし。
(今日、明日にも殺されるかもしれない運命にある私は、今更どんな行いを行っても、その罪の一つさえまぬがれることができないのが残念です。私の生涯にやって来たことを思えば、罪は須弥山しゅみせん(仏教の教えの中で世界の中心にあるとされている高い山)よりも高く、善行はちっとも積んでおりません。このまま死んでしまえば、地獄(火)、畜生(穴・本来はけつ )餓鬼がき(湯・本来は刀)の苦しみにあうことは間違いありませぬ)
恐怖の絶叫といってもいい。もう自分の命は風前のともしびだ。死ねば地獄におちる。地獄の実在を疑わなかったその頃の事である。重衡の魂のおののきがどんあに深かったか、想像できる。このとき、法然は、力強く救いの手をさしのべる>
「いや、あなたが今これまでの悪行を杭、善心を持たれたそのことで、仏様たちは、よろこんでおいでですよ。仏道に帰依きえする方法はいろいろあるが、このような末法の世には、仏の名号を称える、つまり、念仏、称名こそが大切なのです」
さらに法然は、励まして言う。
罪ふかければとて、卑下ひげし給ふべからず・・・・。
(自分の罪が深いからといって、もうだめだと卑下してはいけません)
死を目前にして罪におののく者にとって、何という救いであろう。あの乱世に、浄土宗の教えが、まるでかわいた者が水を求めるように望まれ受け入れられた事情がわかると思う。じつを言えば仏教の教えは、深遠で一朝一夕にはわからない。まして重衡のような立場にある者は、これを学問的に問い詰めたり、あるいは大きな寺を作って僧を集めて経を読み、仏の救いを求めたりする余裕はない。死はすぐそこに迫っている。ぎりぎりのところで、自分の所業を悔いる者は重衡だけではなかったであろう。彼らに、むずかいい教えを説き、お前のような奴はまだまだ救われない、と言ったら彼らはどうなるか。自暴自棄になって破滅してしまうに違いない。法然はそうした人々に救いの手を差し伸べてやったのだ。
「あなた達は、自分のやったことを悔いている。それだけでも、もう仏心を生じているのだよ」
と、浄土教がいかに乱世にふさわしく、そして人間的な教えであったかを理解していただきたい。
史料を調べていくと、この時法然は重衡に会える所にはいなかったようだ。史実と虚構の問題は、いずれまとめて触れるつもりなので、ここでは一応指摘するだけに止めておく。
千手前に触れる前に、重衡について余り多くのことを書きすぎたようだが、じつは重衡のそうした心情を理解しておかないと、千手との出遭いの情景が浮き上がって来ないからである。
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