~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/25月
千 手 前 (三」)
さて、狩野介かののすけにあずけられた重衡は、思いがけない手厚い待遇を受けた。もともと狩野介は情ある武士だったので、まず湯を用意して、旅のよごれを洗い落とすことをすすめた。しかもその時、湯殿に奉仕する若い女までつけてくれた。そしてその女性こそが千手前だったのである。色白く、いかにも清潔な感じの、二十ぐらいの美人であった。
まとっていたのは、
めゆいのかたびらにそめつけのゆまき
と原文にはある。鹿子かのこしぼりの単衣ひとえに、模様染の湯巻を着ていたというのである。湯巻というのは、湯殿で入浴の世話をするときに、着物の上に着るものだ。
そのあとから、こんどは十四、五歳の少女が、髪洗いの道具を持って入って来た。この少女は「こむらご」(紺のぼかい染)の単衣を着ていた。
千手は、言葉少なに重衡の入浴を手伝い、帰りがけに、そっと言った。
「男では武骨であろう、こんな時はかえって女がよいと兵衛佐殿ひょうえのすけ(頼朝)が仰せられて、私をおつかわしになりました。何でも御希望の事は承って来て申し伝えよ、と申されております」
本文には、千手の言葉はこれだけしかない。が、湯殿に入って来てすぐそう言ったのではなく、帰りぎわにそう言ったという書きぶりは、なかなか心憎い。
死後の世界しか見つめていない重衡は、おそらく千手前にそれほど関心を持たなかったのだろう。また千手も、
「私はこういうもので」
とはじめて名乗って、いろいろ語りかけて来たりするたちではなかったと見える。平重衡、三位中将といえば、都の貴公子である。おずおずと近づき、ただ黙々と入浴の世話をするやや世なれぬ感じの、控えめな女性の姿が、最後の一言で、あざやかに浮かび上がって来るではないか。
が、重衡はまだ千手に目をとめていない。何か希望は、と聞かれて、
「いや何も、今はただ出家したいばかりだ」
言葉少なにそれだけ言った。が、もちろんその望みはかなえられなかた。頼朝が、
「それだけはいけない。私個人の敵ならともかく、彼は朝敵として預かっている人間である。簡単に出家を許すことは出来ない」
と言ったからである。その答えを聞いても、すでに覚悟の出来ている重衡は、それほど失望もしなかったかも知れないそしてその時になってから、彼ははじめて、例の女性の名もたずねていなかったことに気づく。
「いまの女房、やさしい優雅な女性だったが、名は何というのか」
警固の武士に聞くと。
「あれは手越てごし (今の静岡市内)の長者(遊女のかしら)の娘、千手というもので美人でしかも心やさしい娘なので、この二、三年、御所で使われておる者です」
という答えが返って来た。
その夜、狩野介は酒をすすめて重衡をなぐさめた。千手は酌<しゃくをしたが、重衡は一向に興に乗って来ない。狩野介が、
「鎌倉殿も、ねんごろにお慰めせよと申しておられます。私は伊豆の者なので、鎌倉では大したおもてなしも出来ませぬが、出来る限りのことはいたしますので」
と言うのにあわせて、千手は朗詠を口ずさんだ。
羅綺<らさ重衣<ちょういたる、情<なさけない事を機婦<きふ妬<ねたむ管弦<かんげん長曲<ちょうきょくに在る、闋<へざることを伶人<れいじんに怒る。
これは菅原道真の詩で、和漢朗詠集にある。もともと、いかにもなよやかな舞姫をうたったもので、「身に着けた綾織<あやおり薄物<うすものさえ重そうな姿を見ると、機織<はたおりの女をうらみ、管弦が長すぎて終わらないので楽人<がくじんを怒る」という意味である。ここでは、重衡が浮かぬ顔をしているので、朗詠の後の句をひいて、
「きっとあなたは、管弦の長いのにあきあきして、早く終わればいいと思っているのでしょう」
と暗に言ったのだった。すると重衡が、
「おお、北野天神(菅原道真)の詩か。天神はこの朗詠をする人を一日に三度守ろうと誓<ちかわれたそうだが、もう重衡は今生は見捨てられた身だ。いっしょに歌う気にはなれない。もっと罪が軽くなるような歌なら」
と言ったので、千手は今度は、
あくといへども引摂いんぜう
という朗詠を歌った。どんな罪を犯した人でも救ってあげる、という意味で、そのあとの、
極楽ねがはん人はみな、弥陀みだ名号みやうごうとなふべし
という今様を歌ったので、重衡の心もほぐれたのか、やっとさかずきをとりなおした。今度は千手は「五常楽ごじょうらく」という曲を琴で弾いた。すると、重衡は、
「おお、五常楽か。しかし今の重衡には、後生楽(後の世が楽になるようにとの願いをこめた音楽)とも聞える。では、往生を急ごうか」
といって、琵琶を取って「皇麞おうじょう」という曲の「急」の部分を弾いた。千手のその場の空気を読み取った気転のの計いに、重盛の心が次第になごんで来たのである。
「おお、東国にもこんな趣味ゆたかな、心優しい女性がいたのか」
重盛は千手をみつめなおして歌を所望する。
一樹のかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれ先世せんぜちぎり・・・・
千手は心を込めて、この悲運の貴公子のために歌った。重盛もこれにこたえて
ともしびくらふしては、数行すかう虞氏ぐしなんだ
という朗詠をしみじみと歌う。これは昔、項羽こううという勇将が漢の高祖こうそと戦って敗れた時、一緒に従っていた美人がほろほろと涙をこぼしたという、敗戦の將の悲しみを歌った詩である。これこそまさに今の重盛の心境にふさわしいものであったかも知れない。
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