~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/22
葵女御 小督局 (五)
峯のあらしか、松風か、たづぬる人のことのか、おぼつかなくはおもへども、駒をはやめて行程ゆくほどに、片折戸かたおりどしたる内に、琴をぞひきすまされたる。ひかへてこれをききければ、すこしもまがふべうもなき小督殿こがうのとの爪音つまおとなり
片折戸とおうのは扉が一方にしか開かない戸、つまり扉が二枚ないような小さな門の扉のことである。いかにも、ひっそりしたわび住居の風情ふぜいの中から、小督の琴が聞こえて来たのだ。
しかも、その時の曲は「想夫恋そうふれん」だった。夫を思うというその曲の名も、いかにも小督の今の心にふさわしい。
── おお小督どのらしい、心のやさしさよ。
仲国は腰から笛を抜き出し、ひと口吹いてから、門をこつこつ叩くと、それなり琴の音は絶えた。彼はここぞと大声をはりあげた。
内裏だいりからまいりました仲国でございます。どうぞおあけ下さい」
中からは何の返事もない。それでもあきらめもsずに叩いていると、一人の少女が扉を細めに開けて、小さな声で言った。
「お門違いでございましょう。こちらは内裏よりお使いを頂くような家ではございません」
仲国は、返事もせずにその細い戸口から、むりやり中に入ってしまった。なまじ返事をしていて、戸を閉じられてしまってはおしまいだと思ったのである。
それなり、ずかずかと縁の近くに歩み寄り、彼は声をはげまして言った。
「小督さま、何でこのような所に来ておしまいになったのです。帝はあなたさまのゆえに思い沈まれ、お命も危ないほどでいらっしゃいますぞ。この仲国の申すこと、うそではございいません。このとおり、お文も頂いております」
と、例の帝の手紙をとり出して、そこにいる女房に手渡した。
しばらくして、中から小督の文と、仲国へのかすげものとして女房装束が贈られた。が、仲国、それだけでは満足しなかった。
「ほかのお使いならそれでもよろしゅうございましょう。が、仲国は、お笛の役もつとめた者でございます。どうか直接お声をきかせて下さいませ」
言われて、部屋の中の小督は、縁に近づき、やっと本心を打ち明けた。
「そなたも知るとおり、入道殿 (清盛) が、あまりに恐ろしいことを言うので、ここまで逃げて来てしまいました。このわび住居で、琴を弾く事もなかったのですが、明日は大原の奥へでも行ってしまおうと思いましたところ、この家のあるじの女房が、お名残りに一曲、と申されましたので、つい琴を手にしてしまったのです」
涙ながらに言う言葉を仲国は聞きとがめた。
── 明日は大原? ではさらに山奥に入って、出家してしまうおつもりか?
そんなことがあってはならない。もし、そんな事になったら、帝がどんなにお嘆きになるだろう。しかも、明日というさし迫った状態では、一刻の余裕もない。
「ともかく、そんなた達、ここをしっかりお守りして、小督殿をお出ししてはならぬぞ」
共の者に言いおいて、仲国は大急ぎで馬に乗って宮中にせ戻った。行きはあれかこれかとさまよい歩いた銀色の道を、今度は、全速力で疾走するのである。急速な場面の転換は、まるで映画でも見るようだ。
宮中に帰り着いたころ、すでに夜は曉方近くになっていた。
── もうこれでは、おやすみになってしまったであろう。はて、誰を通じて申し上げたものか・・・・。
案じながら、昨夜の紫宸殿のあたりまで来てみると、かすかにつぶやきのようなものが聞えた。
南にかけり北にむかふ寒雲かんうんを秋のかり付難つけがたし。東にいで 西にながるただ瞻望せんぼうあかつきの月に寄す・・・・。
まがうかたなき、高倉帝の声であった。帝は仲国をゆかいにやったあと、物思いにふけり、眠らねぬままに、そのまま、ここにいたのである。この時口ずさんだ詩は、和漢朗詠集にある大江朝綱という人の詩である。
「春と秋に、北や南の渡ってゆく雁に、便りを託することも出来ず、東から西へと渡る月を眺めて、ただ物思いにふけるばかりである」
というような意味の調句で、これはそのまま高倉帝の今の心境だった。仲国は急いで近づき、小督の返事と、見たままを報告すると、
「それでは、すぐ、今夜のうちに連れて来い」
と高倉は言った。
── そんなことをすれば、清盛が・・・・。
とは思ったが、ここまで来ては、天皇の言葉に背くことは出来なかった。
車を、牛を、供の者を・・・・。
あわただしく用意し、嵯峨野にとってかえす。小督はなかなか承諾しなかった。やっとのことでなだめすかして車に乗せて宮中にそっと引き入れ、人目につかない所に隠しておいて、夜な夜な帝の寝所に召し出した。
高倉帝にしても小督にしても、全く命を賭けた恋だった。ここまで読んで来て、「葵女御」が伏線として、かなり重要な役をしていることに気が付かれたと思う。
高倉帝は、いわゆる好色な帝ではなかったのだ。相手の身を思って、ひとたびは葵前への恋をあきらめるだけの抑制心のある人である。
その帝が、抑制心も打ち捨てて恋した小督だった。はたせるかな清盛は、小督に向かって怒りを爆発させた。それを恐れ、帝の身を気づかって、いったんは身を退いた小督だったが、帝の愛情は彼女を宮廷に呼び戻す。もうもうなったらお互い危険も承知である。いかにその恋が激しいものだったかがわかるだろう。
やがて小督は身ごもって、女の子を産む、これが範子はんし内親王である。こうなれば清盛の耳に入らないわけはない。
「小督はいなくなったと聞いていたが、それは全く大うそだったのだな」
たちまち彼女を捉え、尼にして追っ払ってしまった。もとより出家の志のあった小督ではあったが、こんな形で尼にされるのは、彼女としても本意ほいないことであったに違いない。かくて彼女は嵯峨野のあたりに隠れ住むことを余儀なくされる。それから間もなく、高倉帝は病の床につくようになった。この帝の死を『平家物語』は「こうした事件が原因で亡くなられたといううわさである」と書いている。
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