~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/23日
葵女御 小督局 (六)
さて、以上が「小督」のあらましである。いかにも哀れな王者の恋の物語だが、先にも触れたように、ここには、いくつか不自然な筋の運びがないではない。
まず、中宮徳子が小督をすすめた、というところだ。もしそれが真実なら、なぜ徳子は小督をかばってやらなかったのか。小督と帝の恋に一番責任あるはずの徳子が、物語が進行する間に一度も出て来ないのは、おかしい。また常識から考えてみて、自分の夫に別の女性をすすめるというのが、そもそもおかしい。これは『平家物語』の作者の、ぎこちないフィクションで、ほんとうは高倉天皇と小督の恋は、中宮徳子の全く知らない所で進行してしまったのではないかと思う。そしてそれを知った中宮は、人並みに不愉快な思いもしたのだろうが、生まれつき、おっとりとしてひかえめなたちなので、何も言えなかった、というのが真相なのではないか。
では、なぜ、『平家物語』は、こうした人間の心情を無視した描き方をしたのか。それは一つには、物語の中で、中宮徳子を、理想的な女性として書きたかったからではないかと思う。この理想化された女性がやきもちを焼いたりしては具合が悪いので、小督の問題は、あくまでも中宮も承知の上ということにしたのではないか。
さらにもう一つ、『平家物語』のねらいは、ここで清盛の強引さをきわだたせたかったのではないか。中宮は帝の恋人に寛大だったのに、清盛はカンカンに腹を立てた ── こう書くことによって、清盛の横暴さを浮彫にしたかったのであろう。が、じつを言うと、この見方は、清盛の人間像を正確にとらえていない。『平家』では、清盛が、
「小督め、おれの娘の婿むこを横どりした」
と怒っていることになっているが、じつはこれは、そんな感情問題で片付けられることではなかったのだ。
というのは、小督が範子内親王を産んだのは、治承元年十一月六日で、この時はまだ、徳子は安徳天皇を産んではいない。安徳が生まれるのは、その一年後の治承二年十一月十二日、『平家物語』では安徳天皇の誕生は、ずっと前に出て来るので、ちょっと錯覚してしまうが、小督事件の時は、まだ清盛の政治的地位が安定する以前の事だったのだ。こう見て来れば、清盛のいらだち、小督へのすさまじい憎悪も、納得がゆく。
── もし、わが娘に皇子が生まれる前に、他の女が皇子を産むようなことがあったら・・・・当時、政治的権力を握るためには、わが娘が天皇のお后になるだけでは不十分で、その娘の産んだ皇子が帝位につかなければならなかった。してみれば、清盛は、この時、運命の分かれ道に立っていたといってもよく、またこの事から考えてみても、中宮徳子が、のほほんと他の女性を高倉に推薦したりしている暇はないということは想像がつく。
『平家物語』は、残念ながら、こうした事情を捉えていない。「物語」としては、美しくみごとだが、政治を見る眼に物足りなさのあることは、以前から人々に指摘されているところだが、『平家』の弱さが露呈している典型的な部分であろう。
しかい、不満はあるにしても、この「小督」の巻は、『平家』の中で、最も美しい部分の一つである。秋の月の夜、物さびしい嵯峨野の小屋、琴と笛 ── 帝とそのp恋人を語る舞台装置は、絵のように美しく、そして悲しい。
ところで、この部分を読む時、ちっと頭に浮かべていただきたいことがある。それは、『源氏物語』の第一巻「桐壺きりつぼ」の巻である。最愛の恋人、桐壺更衣に先立たれた帝は、秋の夕暮れ、物思いに沈みながら、更衣の生んだ皇子 (源氏) を思い出し、更衣の母のわび 住いに使いをやる。使いに行くのは靫負ゆげいの命婦みょうぶという女官である。彼女は、更衣のははに会い、しみじみと語り合い、帝への返事を持って帰って来る。帝は寝もやらず待っておられて、その返事に涙される。
「野分たちて、にはかに肌寒き夕暮れのほど、つねよりもおぼづること多くて・・・・」
から、
「月も入りぬ」
まで、秋の月の夜の時間の経過にかさねあわせて語られるこの部分は、『源氏物語』の中で最も美しい部分であるが、「小督」を読むと、『平家』の作者が、これを頭においていることに気づかされる。一方は亡き恋人の忘れ形見をたずねる話だし、一方は恋人自身を探しに行くのだから、多少違うけれども、この舞台の設定の裏には、『源氏』の裏付けがある。
といっても、これを、単純に『源氏』のものまねと思っていただいては困る。作者も原典を知っているし、読者にもその知識にあることを期待しながら話を進めてゆき、その事によって、さらに物語の内容を豊かにする、というやり方は、日本の文学の中ではよく行われていることだからだ。たしかに『源氏』を思い浮かべながら、秋の嵯峨野行を読む時、この物語はさらに美しさを増す。その意味でも『平家』の中で、これは、最も王朝風なムードにあふれた部分であろう。
『平家物語』は、一般に鎌倉時代を代表する軍記物語といわれているし、たしかに書かれている内容はその通りだが、そこを流れる美意識は、王朝風のものがかなり残っている。そして「小督」の巻は、中でも最も鮮やかに王朝風な美意識に貫かれていると言えるかも知れない。