~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/21
葵女御 小督局 (三)
この巻のヒロイン小督は、葵前と違って、れきっとした実在の人物である。父は桜町さくらまち中納言ちゅうなごんといわれた藤原ふじわら成範しげのりという公卿で、その父の藤原信西しんぜいは、当時きってのやり手と言われた人だった。
平安朝後期、いわゆる院政時代の一時期、この藤原信西によって動かされていたといってもいい。彼は保元の乱には平清盛と組んで政敵を降し以後の政権を一手に握ったが、その後、後白河の近臣や清盛と対立する源義朝に憎まれて、平治の乱では彼らのために殺されてしまったという人物である。
信西の死後、子供たちは各地に流されたりしたが、やがてゆるされて都にもどった。中でも小督の父成範は、もっとも順調に公家社会に復帰した一人であろう。というのは、わけがあった。信西の生前、成範と清盛の娘は、両者の父親を結ぶ絆として婚約させられていたのである。つまり成範は、清盛にとって婿ともいうべき存在だったのだ
小督の母はこの清盛の娘ではなかったようだが、ともかく、彼女の家と、平家との関係は、何ともいえず微妙なものだったらしい。そして当時の小督は、中宮の側近にいる女房の一人になっていた。彼女が小督と呼ばれたのは、父の成範が、左兵衛督さひょうえのかみだったからだといわれている。
小督は当時、無雙の美人── 二人とはいない美人といわれた女性であり、しかもことの名人でもあった。こうした彼女が、徳子側近にいれば、高倉天皇の目にとまらないはずはない。ところが『平家物語』は、この事情を、
「高倉天皇が葵前との恋の思い出にふさぎ込んでおられるのをお慰めしようとして、中宮徳子が、わざわざ差し向けた」
と書いている。
これはいかにも不自然である。が、その事については、私自身少し考えるところがあるので後になって触れることとして、ともかく小督が高倉帝の寵愛を受けるようになったという事実だけに目をとめておこう。
ところで、この小督には、その頃一人の恋人があった。のちに冷泉れいぜい大納言と言われた藤原隆房たかふさがその人である。まだ少将であった隆房がしきりに歌を詠んだり、恋文をよせて来るのを小督はなかなか受け入れようとしなかったが、やがてその熱心さに負けて、彼女も隆房を愛するようになったのだった。
彼女が高倉帝の愛を受けるようになったのは、じつはその後である。
── 帝の思い者になってしまったのではしかたふぁない・・・・。
隆房は、そう思いながらも、小督をあきらめることが出来ない。
── もしや、よそ目にも小督を見ることが出来はしないか・・・・。
ひそかにそう思う気持ちがあって、せっせと参内し、小督のいそうな局のあたりを行ったり来たりするのだったが、小督自身は、
── こうして帝のお情けを受ける身となっては、少将がいかに私を愛して下さっているとしても、もう言葉をかけたり、文をやりとりするべきでないから・・・・。
と思い定めて、人づてに何かを言ってやるということもしなかった。
が、隆房は、やはりあきらめきれなかったらしい。もしやと思って、歌を詠んで小督のいる局の御簾みすの中に投げ入れたりもしたが、小督は高倉帝をはばかって手にも取らず、召使にそのまま中庭に投げ出させた。
隆房は絶望した。
── ああ、わが恋もこれまで・・・・。
死んでしまいたいとまで思いつめた。
ところが、これを聞いた平清盛は激怒した。
「なに? 小督が帝の思い人になったと申すのか?」
じつは隆房の正妻は清盛の娘だった。その娘をほうり出して小督に熱中している隆房も隆房だが、その小督が今度は大事な徳子の夫である高倉帝の寵愛を受けていると聞いては、黙っているわけにはゆかなかった。
中宮はわが娘、隆房もわが娘の婿むこ、すれば娘二人までが、小督に愛を奪われたことになる。
「いや、これでは小督がいてはろくなことにならないぞ、召し出していものにしてしまおう」
清盛がそう言ったと聞いて、小督は決心した。
「私の身はどうなってもいいけれど、このままでは帝の御身に御迷惑がかかってしまう」
そう思って、ある日の夕方、薄闇に紛れて宮中をぬけだし、どこへともなく姿を消してしまった。
小督失踪・・・・
と知った時の高倉帝の嘆きは深かった。昼も寝所に入ったまま、夜は紫宸殿ししんでんひさしから、月を眺めて、物思いにふける ── というありさまだったが、それを聞くと、清盛は、ますます不快になったらしく、
「これもみな小督のせいだ。よし、それならそれで考えがある」
とばかり、小督に代って帝の身のまわりを世話する女房も差し向けないだけでなく、参内する公卿たちの邪魔までしはじめたので、その権勢に恐れる人々は、自然と高倉帝の側近から遠ざかるようになり、宮廷は、何となく、重苦し気な空気がただよいはじめた。
かつて葵前を愛した時に、高倉帝が恐れたような事態が、やって来てしまったのだ。しかも高倉には、帝として清盛に威圧を加えるだけの力もない。抑圧された魂をかかえて、鬱々として楽しまない日を送るよりほかはなかったのだった。
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