~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/20
葵女御 小督局 (一)
どういうわけか『平家物語』では、本筋にかかわりの薄い女性の方が有名である。
清盛の愛人だった祇王・祇女もその代表的な例だが、高倉天皇に愛された小督こごうのつぼねもその例であろう。
いわば彼女は脇役の脇役といった存在である。もともと高倉天皇自身が、若くしてこの世を去ってしまい、『平家』の主役クラスではないのだから、その愛人である小督はほんの添え物といってよい存在にすぎないのだが、にもかかわらず、人々によく知られているのは、その描かれ方が、非常にロマンチックで、彼女の哀れな運命が、人々の心を強く捕えたからであろう。
が、この小督を語るには、その前にあおいの女御にょうごと呼ばれた女性について語っておかなければならない。『平家物語』の中でも、「葵女御」の巻と「小督局」の巻は続いていて、それで一つの物語になっているといってもいいからである。
葵女御 ── とおうのは、じつは正式の名前ではない。葵前あおいのまえというのが本名で、もともと女御になれるような家柄の女性ではなかった。
女御というのは、天皇のお后として、公式に認められた女性にだけ許された称号である。
当時の天皇の正妃は中宮ちゅうぐうとか皇后とか呼ばれ、その下に女御、さらにその下に更衣こういと呼ばれる女性がいた。女御や更衣になれば位をもらうし、その中から選ばれて中宮になることもある。したがって、かなりいい家柄の公家の娘でなければ女御にはなれなかった。
高倉天皇の中宮は、周知の通り、平清盛の娘、徳子である。葵前は、この徳子に仕えている女房の召使だった。宮仕えをはじめたころは、まだほんの少女で、女童めのわらわとか、上童うえわらわとか呼ばれて、細々こまごまとした雑用に使われていた。
は、生まれつき美しかった彼女は、まもなく高倉天皇の目にとまり、寵愛を受けるようになった。
じつをいうと、中宮徳子は高倉天皇より六つも年上である。十六歳で徳子が入内じゅだいした時、高倉はたった十歳。だから少年天皇にとって、徳子は、はじめはおきさきというより、むしろ姉のような存在であったに違いない。そしてその感じは、天皇が青年になった後でも抜け切れなったのではないだろうか。
これに比べて、葵前は、まだ少女らしさの抜けきらない、いういうしい美女だった。
青年天皇は、彼女によって、はじめて年下の女性をいとおしむことを知らされたのかもしれない。
『平家物語』は、このあたりの高倉の心境を、
「ただよのつねのあからさまにてもなくして、主上しゅしやうつねはめされけり。まめやかに御心ざしふかかりければ」
と書いている。かりそめの恋、普通の程度の関心の持ち方ではない、もっと真剣なものだったのだ、というのである。
── 人を愛するとはこういうことか・・・・・・。
と、おそらく青年天皇は、はじめて愛の世界を知る思いだったのではないだろうか。
人々は、天皇の愛情の深さを知って、ひそかに葵前を、葵女御と呼ぶようになった。
── いずれ天皇の皇子を産むようになれば、女御と呼ばれるようになるかもしれない。そんな思いから、正式に女御と認められていない彼女をそう呼んだのであろう。
が、そのうわさを聞くと、高倉天皇は、ふいに葵前を寵愛することをやめてしまった。
それはなぜか?
「愛情が薄れたためではない」
と『平家物語』は書いている。
天皇の地位にある者が、好き勝手な愛情の対象におぼれて世のそしりを受けることを憚った、というのである。葵前に向かってほとぼしる愛情を、理性がかろうじて押さえた、ということだろうか。
それだけに高倉帝は苦しんだ。それからというもの、いつも物思いにしずんで、食事もほとんど口にせず、病気と称して、寝所である、「夜の御殿おとど」に引き籠ってばかりいた。
その様子を見聞きした側近は心配しはじめた。関白の藤原基房もとふさも早速やって来て、
「そんなに心にかかっておいでなら、何のお差支えがありましょう、その女房を、しぐお召しなされませ。家柄がどうのとお調べになるには及びませぬ。私がすぐ養女にいたしましょう」
と奏上した。
が、帝は首を振った。
「さあ、お前の計いもいいとは思うが、退位後ならともかく、現に位にある身でそんなことをしたら、後々まで批難されはしないか」
と言って、遂に基房の案は受け入れなかったのである。
それかといって、もちろん葵前のことを忘れ去ったわけではない。ふとした折に、帝は手許てもとにあった緑の薄様うすよう (薄い鳥の子紙) にそれとなく歌を書き付けた。
しのぶれど いろに出にけり わが恋は ものやおもふと 人のとふまで
拾遺集の恋の部にある平兼盛かねもりの名歌である。まさにその時の帝の心境にふさわしい歌であった。そばにいた冷泉れいぜい隆房たかふさ (『平家物語』では「れんぜん」と呼んでいる) という公家が、これを頂き、葵前にやると、それと察してか、彼女もぽっと顔を赤らめた。
「少し気分が悪うございまして・・・・」
彼女がそう言って宮中を退さがったのは、その直後である。それから家に帰って五、六日床についたかと思うと、俄かにこの世を去ってしまった・・・・。
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