~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
二 人 の ヒ ロ イ ン
 
2018/07/31月
建 礼 門 院 (七)
法皇が女院の消息をたずねると、尼が中から出て来て後ろの山へ花を摘みに行かれたと答える。
「いたわしいことだ。そのようなことをする者もいないのか」
法皇が嘆くと、尼は毅然として言った。
「いいえ、前世で積まれた善い果報がつきて今の境涯になられたのでございます。別におかわいそうなことではございません。むしろ肉体を捨てるべく御修行をなされている今は、こういうことに身を惜しまれるべきではございません。こした過去・現在・未来の因果を悟られれば、別にこの御生活は苦しい事でも何でもございません。お釈迦しゃかさまも、御自分のお城を捨てて、難行苦行の末に正しいお悟りに達せられたのでございますから」
見ればこの尼は、絹とも布とも区別のつかないものを結び集めたようなものを着ている。そのみすぼらしい尼が、こんな立派なことを口にするので法皇が不思議に思って、その名を尋ねると、尼はしばし涙にむせんでから、やっとこう答えた。
「私は阿波の内侍。昔は法皇さまにかわいがっていただきましたのに、お忘れになっていらっしゃる所を見れば、わが身の衰えが思い知られて悲しゅうございます」
阿波の内侍の母は紀伊の二位といって、後白河の乳母だった。その関係で法皇にも可愛がられていたのであろう。
さて、庵室の中に入ると、阿弥陀あみだ如来にょらい以下三尊が飾られてあり、一日も早く浄土へ生まれ変わることを念願としているらしい女院の様子がうかがわれた。その傍らには、女院のものらしい麻の衣や紙のかけぶとんなどがあった。昔の宮中での贅沢な暮らしに引き比べ、あまりにも質素な様子である。
そのうち山の方から尼が二人降りて来た。一人は建礼門院、一人は大納言典侍 ── 先に書いた重衡の妻である。建礼門院はさすがにその場に立ちすくんだ。
── いかに何でも、この有様でお目にかかることは恥ずかしい。
が内侍の尼は、女院をはげますように言った。
「出家の身でございますもの。どういう格好をしていても苦しゅうはございますまい。早く対面なさって、そして早くお帰し申し上げた方がよろしゅうございます」
すすめられて、建礼門院は、涙をおさえて法皇に対面する。法皇も感無量である。
「仏教で非想天は八万ごうの長命を保つが、なお生者必滅の悲しみにあうという。天人五衰というが、人間の運命も変わればかわるものよ」
涙のうちに女院は、今の心境を語りはじめた。
「たしかに、今の境遇になったことは悲しゅうございますが、これも後生のためには喜びと見るようになりました。今は釈迦の御弟子となって、阿弥陀様の御本願 ── 衆生再度の願いに導かれて、ひたすら極楽往生を願っております。今でも忘れがたいのは安徳帝のおもかげで、忘れようとしても忘れられず、ほんとうに恩愛の道ほど辛いものはございません。が、今はわが安徳帝の菩提ぼだいを弔わんがために、朝夕の勤めを怠らずにやっておりますので、こうなってみると、この恩愛の道さえも、私にとっては仏道に導かれるよい機縁でございます」
さらに女院は法皇に問われるままに、自分の経験したことは、そのまま六道ろくどう輪廻りんねだったと回想する。
まず最初、清盛の娘として生まれ、高倉帝の后となり、安徳帝を生み、天下はわが思うままになった。これはすなわち天上道である。
あけてもくれてもたのしみさかへし事、天上の果報も是には過じとこそおぼえさぶらひしか。
という言葉がそれを示している。
次に、木曾義仲に追われて都を落ち、人間の愛別難苦、怨憎会苦を経験した。これが六道のうちの人間道である。
ついで平家一門は西国へ逃れ、苦しい海上生活を経験した。食べるものもないし、たまたま食物があっても水がない。大海に浮かびながら真水のないのに苦しむ ── これは餓鬼がき道の経験である。
そのうちに一の谷の合戦が起こり、味方が多く討死した。明けても暮れても、戦いの雄たけびが絶えないさまは、修羅道さながらであった。
しかも親は子に別れ、妻は夫に別れた。敵に追われながらのこの苦しみは地獄道そのものだといってよい。
さて、いよいよ壇の浦の合戦になった。母の二位の尼が安徳帝を抱いて船端の立ち、自分に、
「女は殺さぬ習いだから生き残って後世を弔うように」
と言うのを夢心地で聞いた。その間にも、矢は飛んで来て、人々は叫び声をあげながら逃げまどう。これこそ叫喚地獄である。
その後源氏に生け捕られて、都の上る途中、夢を見た。昔の内裏だいりよりも見事な所に安徳帝をはじめ、平家一門の公家がいる。どこかと尋ねると、二位の尼の声で「竜宮城」という返事があった。そこには苦はないかと聞くと、「竜畜経にすべて書いてあります。よくよく後世を弔って下さい」という声が聞えてそのまま目が覚めた。これが多分畜生道であろう。
かくて建礼門院は、生涯の中で仏教でいう六道すべてを経験したことになる。仏教の教えでは人間はこの六道を輪廻するものだが、この原理を悟って、仏道に帰依きえすれば、ここを抜け出て仏の世界に往生することが出来る、と考えていたのである。
今は簡単に紹介したが、六道のそれぞれには『平家物語』がここまで語り続けて来た内容を、簡単に要約したり、また原文をそのまま繰り返したりして、紹介してある。この巻のこの部分は、その意で『平家物語』の各巻の総まとめ的性格があるように思われる。
もっとも畜生道については、これを竜畜経と結びつけず、別の見方を取るひともある。すなわち、西国の海上に逃れてから、宗盛と関係を持ち兄妹相姦という畜生道を犯した。と見る見方や、源氏に捕らえられた後、敵将義経と関係を持った、というあたりがその例である。が、この辺の事が事実かどうかという点になるとどうもはっきりしない。
当時の事情からすれば、両方とも決してあり得ない事ではないし、かといって、確かな証拠もない、というのが真相であろう。ともかく、この詮索は、むしろ好奇心の問題であり、ここではそれほど必要なことではない。それよりも目にとめるべきは、ここにある六道輪廻の思想である。
法皇は建礼門院の告白に感動した。
「昔の唐の高層玄奘げんじょう三蔵は悟りの前に六道を見たといい、わが国の日蔵上人は、蔵王ざおう権現ごんげんの力によって六道を見たと聞いている。そなたがこれを目の当たりに見たということは、殊に稀有な体験である」
建礼門院をなぐさめようとして来た法皇は、かえって彼女が、自分よりはるかに高い悟りの境地にいることに驚いて帰って行ったのである。
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