~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 

2018/07/23

大 納 言 典 侍(佐) (四)
建礼門院の都入りに従って都に戻った彼女は、姉の太夫三位だいぶのさんみという人を頼って、日野へ隠れ住んだ。日野は京都の南郊、醍醐だいご寺の近くである。
そこで彼女は、重衡が、まだ殺されてはいないということを知る。
── それなら今一度ぜひ顔だけでも・・・・。
とは思うものの、自分から会いに行くだけの自由もなく、ただ泣き暮らすよりほかはなかった。
ちょうどその頃、重衡は、鎌倉から奈良への道を歩いていた。罪人であるために都へは入れられず、大津から山科やましなを通って、醍醐へ出て、奈良へ行くことになっていたが、日野といえば、醍醐からはごく近い。
重衡もこの時までに、平家の壇の浦での滅亡や、妻の様子を聞き知っていたらしい。
── もう奈良へ行けば、助からぬ命。
そう予感していた彼は、警固の武士に頼んでみる。
この程事にふれてなさけふかう芳心ほうじんおはしつるこそありがたううれしけれ。同くは最後に芳恩か(ウ)ぶたりき事あり。我は一人の子なれば、この世におもひおく事なきに、年来あひぐしたりし女房の、日野といふところにありときく。いま一度対面して、後生の事を申をかばやと思ふなり。
(この所、何かにつけて、やさしくしてくださった事は、ありがたくうれしく思っております。ところで同じ事なら最後に御芳情を頂きたいことがあります。私は子供がいないので此の世の事で思いおくこともないのですが、年ごろ一緒にいた妻が、日野ということろにいるとか。もう一度会って後の世の事を申しておきたいと思うのです)
武士たちも、木石ぼくせきではないので、それを許すと、重衡は喜んで、その日野の住みかに立ち寄った。
「大納言佐殿はここにいらっしゃいますか。重衡中将さまが、只今、奈良へ行くところですが、立ちながらお目にかかりたいと申しておられます」
と使いに言わせると、彼女は飛び出して来た。
北方聞もあへず、「いづらやいづら」とてはしりいでて見給へば、藍摺あいずり直垂ひたたれおり烏帽子えぼしきたる男の、やせくろみたるが、縁によりゐたるぞそなりける。
(北の方は聞きも終わらぬうちに、「どこに、どこに」と言って走り出て来た。みれば藍摺りの直垂に折烏帽子 ── すでに貴人の服装ではなく、みすばおらしい服装をしている男がそこにいた。痩せて、色も黒ずみ、いかにもやつれはてて縁に寄りかかっていたその男こそ、まさしく、その人、重盛だったのである)
目を見合わせた二人の間に、まず先立つものは涙だった。重衡は半身を御簾みすの中にさし入れてこれまでのことを語った。
「一の谷で自害するはずの身が、寺や仏を焼いた罪の報いで生捕りとなり、罪人として大路を引き廻され、京、鎌倉に恥をさらした。それだけでも悔しいのに、はては奈良の僧徒に引渡されて斬られることになって、こうして下ってゆく。でも一度お逢いしたいという望みがかなって、今はもう思い残すことがない。出家して髪を形見に置いて行きたいが、それも許されないから・・・・」
と言って、額の髪の届くところを口で食いちぎって、「これを形見に」と渡した。
大納言典侍も涙である。
「お別れしたあと、越前三位の北の方(小宰相)のように身を投げるべきだったのですが、たしかにこの世にいなくなられたというのでもないので、もしやもう一度と思って生きてまいりました。でも、もうこれでお目にかかれないのですね」
夫のあまりにみすぼらしい姿に、彼女は、
「せめてこれを」
あわせの小袖と浄衣じょういを出した。重衡はこれを着替えて、もとの着物を形見に置く。
「それはそれとして、お別れに一筆を」
妻に言われて、重衡は別れの歌を書く。
せきかねて 涙のかかる からごろも のちのかたみに ぬぎぞかへぬる
(とめかねた涙に濡れたこの衣を、後の形見としてぬぎかえてゆきます)
妻は聞きもあえず、
ぬぎかふる ころももいまは なにかせん けふをかぎりの かたみとおもへば
(せっかくかえられたお召物も、今日かぎりのお別れかと思うと、どうしたらいいかわかりませぬ・・・・)
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