~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
大 納 言 典 侍(佐) (五)
そのうちに時は経ってゆく。
奈良まではまだ遠いし、せっかく一日だけの対面を許してくれた武士の手前、そう長く留まることは出来ない。では、といって重衡が立ちあがると、
「ね、もう少しだけ・・・・」
妻は袖にとりすがる。重衡は強いて言った。
「私の心の中をわかって下さい。あなたとお別れはしたくない。しかしもうのがれられない運命のこn身。来世でまたお目にかかりましょう」
とはいうものの、もうこの世で二度と逢えないことは、お互いわかりすぎるほどわかっている。心を鬼にして、重衡は別れていった。
後に残った大納言典侍の泣く声は、門の外まで聞えて来る。
死にに行く夫と、残る妻の別れである。これほど残酷な対面と別れはないかも知れない。重盛は奈良へ着くと、僧徒にその罪を問われ、木津川の辺で斬られる。
この時の重衡の最期は、まことに見事であった。かつての従者、木工石馬允もくうまのじょう知時というものが駆けつけると、重衡は彼に、
「仏を拝んで死にたいから」
と言い、その辺にあった仏像を持って来させ、
「いくら罪を犯しても、遂には仏縁によって救われるというのが仏の教えと聞いております。いま重衡は重罪を犯しましたが、これの自分の意志からではございません。何とぞ仏さまのお力で逆縁を順縁とし、最後の念仏によって、九品くほん浄土に生まれさせて下さいますよう」
高らかに念仏をし、首をのべて斬らせた。首は般若はんにゃ寺の大鳥居の前に釘付にされたが、彼の大納言典侍は、せめて体だけでも取り寄せて供養したいと思って、輿を迎えにやって日野へ連れて来させた。
是をまちうけ見給ひける北方の心のうち、をしはかられて哀也。
と『平家』は書いている。首のないむくろを待つ彼女の気持ちのいたましさ、そしてその無残な屍体を見た時、彼女はいったいどう思ったろうか。
この凄絶な場面に『平家』はさらにリアリティを加えている。昨日までは、立派に堂々としていたのに、暑い最中の事とて、もう「あらぬさま」になっていた、というのである。おそらく腐敗がすでに始まって見られぬさまになっていた、というのだとう。『平家』の表現は日ごろはごく平凡で、たとえばこの時の彼女の心についても、
「をしはかられて哀也」
というような月並みな言い方しかしないのだが、時折このようなぎょっとするほど凄惨な表現にぶつかる。大納言典侍は日野にある法界寺で供養した。この寺は今もある。優雅な堂に阿弥陀あみだ如来にょらいを安置した静かな寺である。その後、大仏再建に活躍した僧俊乗の計らいで首ももどり、体と共に火葬にして高野に送り、墓は日野に建てた。彼女が出家したことはいうまでもない。この後で彼女は建礼門院に従って大原入りして一生を終えたようである。
戦争と人妻たち ──。その中でも彼女は最も酷烈な人生を生きねばならなかった。平凡で、何事につけ泣くよりほかはない女性だが、いざとなれば、内侍所を抱いて海に飛び込もうとするあたりは、維盛の北の方よりも、遥かにしっかりしている。それが最もよく現れているのは、重衡の死後の供養をする場面である。
腐敗しかかった夫の首なし死体を前に、それを恐ろしいとも思わず、いや、恐ろしいと思うことさえも忘れて、気丈に始末をつけてゆく凄絶な女の姿・・・・。それでいて、彼女の『平家』の中で占める座はきわめて小さい。近代の小説なら、彼女こそ一編の小説の主人公になるところであるが。
私はこの大納言典侍の話を読むたび、ある女性を思い出す。私よりやや年上のその人は、ごく家庭的な、明るい、飾り気のない人だが、後になってその人が戦後、満州からひどい苦労をして引き揚げて来られた事を他から聞いた。幼い子を連れ、逃げる途中御主人のお母さんが亡くなって、自分たちの手で火葬にするというようなこともしたと言う。
── あの穏やかな方が、そういうきびしさを乗り越えて来たのか。
私は改めて目を見張る思いだった。何不自由なく豊かな家庭に育ち、幸福な結婚をしたその人は、戦いのために、突然、この苛酷な運命を強いられたのである。
戦いの中の女性たち ── 大納言典侍の経て来た修羅は、数百年を経た現代にも、まだ終わっていなかったのだ。
なお、『平家』では、彼女の事を鳥飼中納言の娘で、邦綱の養女と書いてあるが、これはあやまりで、邦綱の実子と見た方が正しいようだ。