~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
新 妻 た ち
 
2018/07/20
大 納 言 典 侍(佐) (一)
平家一門の人妻の中で、一番悲惨な一生を送ったのは平重衡の妻、大納言だいなごんの典侍すけであろう。彼女は大納言藤原邦綱の娘で名は輔子ゆし。安徳天皇の乳母として出仕して、父の官位をそのまま大納言典侍と呼ばれた。輔子という名前より、この方が知られているので、ここでもその名を使っておく。
彼女の父の藤原邦綱は、なかなかのやり手で、当時、富裕の人として有名だった。清盛とも仲良く、その頃の実力者の一人。この邦綱は、偶然にも、清盛と同じ年に死んでいる。
多分邦綱のむすめが、清盛の末子重衡の妻となったのも、この父親どうしの結びつきから出たことであろうし、また彼女が安徳天皇の乳母となって仕えたことも、徳子の兄弟である重衡の妻であってみれば、しごく当然ななりゆくであった。
なお、彼女は重衡との間に子供はいない。だから安徳の乳母といっても、乳をふくませる役ではなく、身のまわりの養育係といった方がいいかも知れない。当時、朝廷や公家、武士の主だった家では、子供は必ずといっていいくらい乳母に養育をまかされた。
この時、乳母は彼女だけでなく、その夫や子供などが一家をあげて養君の身のまわりの世話をする。そのかわりその養君が成人した折には、彼ら乳母の一家は側近第一号として、抜群の出世が約束される。
とりわけ、養君が皇太子であってみれば、これは未来の政治の中心に坐る人だから、その乳母になるということは、出世を約束されたようなものだった。父は実力者邦綱、夫は清盛の末子、そして自分は乳母 ── 大納言典侍は、女としては最も有利な地位にいたことになる。
が、安徳帝が即位したころから、平家の前途には、少しずつ不幸のかげがさし始め、やがて、彼女の運命も妙な方向にまげられてゆく。

この運命の曲がり角ともいうべき事件は、夫重衡の南都出陣である。
その前に、頼朝討滅に発行した維盛これもり以下の平家軍が戦いもせず逃げ帰ったことは、すでに書いた通りだが、この不名誉を回復するためもあって、平家は南都の僧徒を徹底的にやっつけようとした。
そのころ、南都の僧徒たちは、清盛に対してあまりいい感情を持っていなかったらしい。さきに高倉宮以仁もちひと王が挙兵して敗れた時、南都へ落ち延びようとしたことでもわかる通り、彼らは内心、以仁王と意を通じ合っていたのである。
これに対して平家は、
「今度こそ!」
と強気の態度で臨むこととし、南都攻めの総大将に重衡を任命した。重衡としてみれば、
── 俺は維盛のようなみっともない事はしない。
という気負いもあったのだろう、南都へ猛攻をかけた。その折、彼が家来に民家に火をかけることを命じたところ、折からの風にあおられ、東大寺や興福寺に飛び火して伽藍を焼き、特に東大寺では大仏まで焼け落ちてしまった。そしてこのことが後に重衡に苛酷な運命を強いることになるが、それはまだ先の事だ。年代を追って話を進めると、その後清盛は死に、木曽の猛進撃に一旦平家は都を捨てる。その中に重衡と共に大納言典侍も加わっていた。彼女は何はともあれ、一行の守護する安徳天皇の側近で、その世話をするという重大な任務を持っていたから、都落ちは当然の事であった。
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